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自分に合っていた

弓道部でした

 弓道部に入った後、最初に、結構なお金が掛かった。
 正直、マジで、ビビる金額。

 部活に、「お金」問題は、付きものですが、習い事は将来の為として親は投資のつもりなんだろうけど、部活動って「趣味」に入るのかもしれない、だから、プレゼンをした。
 40,000円もする弓を、借りるのではなく買うことに、リターンが、「付加価値」はあるのか…!

 とまぁ、なんとか、私はそんなに、あれこれ欲しいものを言わないほうなので、「そんなに、やりたいのか」というのは、伝わった。
 少なくとも、中学で仕方無しに嫌々やっていた部活よりは、やりたかったし出来るなら永くやりたいとは思っていた。
 
 結果、10年くらいやった。
 大会で上位に入って賞状もらったりするくらいに。
 最後のほうは、ゾーンに入っていて、的に中らないほうが少なかった。
 そこまで最初に買ってもらった弓を使い続けていたから、物を使った期間や結果で元を取れたのかを判断するなら、取れただろう。 最初の下手だった頃、矢羽が藤の部分を傷付け焦げ…焼け切れてるのかな、そんなふうなまま、使っていた。
 
 アニメになったりして今はわりと知られたから誤解なさそうだが、「点数がある」アーチェリーと間違われたりしていた。
 基本的に、点数はない。
 何で競うのか、というなら、的を外さないだけ。順位を決めるなら、より真ん中に挿されば良い。
 究極、目指すなら、那須与一のお話に尽きる様な気がする。

 団結して、声出して、チームワークで、カバーして、フォローして…。はぁ。
 そういうのと、真逆だと私は思ったし、だからわりと長いこと、弓道をやれたのだと確信している。

 弓道場に居る時、自分と的と、鏡に写る自分だけだ。
 鏡がない場所もあるから、だんだん、自分の姿を正確に頭の中に写していた。
 最終的には骨の微調整をする。
 骨で筋肉を延ばす。
 点で、形が、出来た時、星座になった気持ちがした。
 だから私は、普段どんなふうに居たのか自分の姿は思い出せないけれど、射場の姿だけは、よく憶えている。

 教わる、教え方が上手い、基本が出来てる人を見て真似る、見取り稽古が出来る、そういう環境にいた人は、清々しいほど上手かった。
 県外でそう、思った。
 指導者だけでなく、社会人グループが同じ場所で練習すると礼儀も作法も綺麗な人がたくさん居た。
 
 自分と話をする時間だった。
 自分を俯瞰する空間だった。
 考えて、試す。
 繰り返し、身体が憶える。
 タイミングを計るのではなく、決まった呼吸に合わせて型を整える。
 
 スルッと矢は放たれて的に向かう。

 それが出来ると、直径が小指一本ほどの、小さな金色の的にも、中るのだ。
 
 あ、ヨガや瞑想にも似てる。
 

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