小説 やわらかい生き物1
心の在処
[1]
クラゲには心臓がないらしい。
でも生きている。
フワフワしているようで、あれはキチンと決まった動きをしている。
それが「鼓動」と同じになる。
クラゲには脳がないから目的もなく生きてるのか?
ちょっといいな、と、僕は思い、見つめていた、真っ直ぐな水槽を。
単純な造りをしている生き物には、余計なものがない。
生きることだけを、そして命を繋げていくことを、生まれて死ぬまで繰り返している。
クラゲも、虫も、たぶん猫や犬も毎日同じで、同じことの繰り返しでも、不満はないかもしれない。
生きてることだけに、特化しているとも言える。
[2]
毎朝5時34分、もう少し早くに目覚めていても時計を見るとこの時刻になっている。
シリアルかトーストを朝食にする。
おにぎりを食べたいのだが、ご飯になるとついゆっくりと食べてしまうので妥協の朝食。食べ終わる頃には洗濯機が止まるので干しながら天気予報を見る。
雨だろうが晴れていようが窓に小さくついたベランダへ出す。この一連の動作が僕の鼓動。
鼓動がズレると苦しくなる、心臓や脈拍が妙に耳に付いて、それと呼吸が合わないことが気になりだす。
別々の音が鳴り響き、視界が暗くなる。
やろうとしたこと、いま、思っていたことが、列を乱したように混在する。
仕事は主に、毎日変わらない。量や時間が変わることが多少あっても、ノルマといった目標値があることもないので、納期、品質、などがきちんとしていればわりと、自主性に任される。
職場としては珍しい類いだとは思うが、人材にも恵まれていると思う。
やり方を統一しないからだ。
目標値は無くとも目的はある、その目的地に辿り着くルートは予算内であれば、各自のやり方に任される。
むしろ、そのルートが一番効率が良いものなどを選んでいると言ってもいい。改善点などは細かなミーティングで定期的に意見が交わされる。
決して独立ではないが、みんな足並みを揃えることもない。
呼吸や脈拍が揃わないことから、尊重されているようなそんな場所だ。
毎日を単調に、それでも確実にこなしていく。
それでいいと思っていたし、他人が進むような、心動くような事柄が自分には起きないのも、そういうものだと思っていた。
[3]
自分の心が動かない。
どこかで、それも変だな、と感じることはあった。
全く無いわけではない。
何かに感動している、と言うことは心が動くような事柄だろう。
ただ、それにより自分が変わったり、一喜一憂するまでには到らず、その場で済んでしまうのも、また事実だった。
例えば、知人や身内の死ですら、それは流れの中では当然起こり得ることだとか。
突然の飼い犬の死ですら、やはり、どこかで覚悟していたような。
冷淡とも取れるような僕の感情に、周囲はしばし呆れ、遠巻きになることもあった。
それさえも、僕は他人事のように
受け止める。
果たして、心とは感情とは、何処でどのように発生するのだろうか。
仕組みもわからない、でも存在はあるのだろうから、こうして何年も探していれば、いつかは見付かるのではないかと、半ば期待して眠る。
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