下書き保存していたらいつの間にか現実に?
教科書に載る人生
特別なことかと、思われたが、いよいよ、私たちに対して小さな子供が「ねぇねぇ〇〇ちゃんは、戦争体験した?」と聞いてもおかしくない分岐点に来た。
昭和は長かったから。
いや、わからんな。
子供にあまり会った事がないから、よくわからん。
ところが、日本が鎖国開け、現代?近代史というのか?少なくとも1920年以降は、自分は足を突っ込んでいるかのような錯覚を起こす。
1929年世界大恐慌、ブラックマンデーという歴史は、1980年バブル崩壊という名で、またはリーマンショックという名前で2008年に。
1945年までの戦争には、祖父達は出征を逃れられずにいたし、その歴史は繰り返すなと習った小学生の頃には、朝鮮、ベトナム、イラン、イラクと名の付く戦争を観ていて、「なに?何故?」などなど考え始めても次々過ぎて段々と混ざってわからなくなった。結局いまも、わからない。
テレビに対して、便利さより怖さがあった。大人に主導権あるから。報道はバタバタしてるし、大声で捲し立てている様子が嫌だなとは思っていた。
1994年のサリン事件で、学校の先生の目に被害が出て、何度か授業をお休みする事があった。
阪神・淡路大震災は、夜中宿題しててその流れで、月が赤かった映像を覚えている。地下鉄サリン事件も朝、テレビで観た、たぶん終業式かなにかでその時間ひとり家に居た。
アメリカへの多発テロも同様に夜中に起きていたので…。
速報という状況は私にとっては、その災害に巻き込まれたのとほぼ同等なものだと、最近、知った。
だから2011年は駄目だった。
住んでいた場所だから、知っている場所だから、通りの名前も信号機の場所も覚えている道筋だった。それまで色々と蓋をしてきた、様々なものが耐えられず、私自身が内側から崩壊した。
その後も、「なんなのよ…」と思いたくなる程、映像というのは、予告無しで観ると焼き付いている。福知山線の脱線事故然り、スキーバス事故然り…。どの現場にもカメラが行って情報や状況を伝えるのがどんなに大事かもわかる。知ろうと思うなら必要なんだろうなぁと。
馴れてしまったり、やろうと思ったが先送りした、とか、日常的に誰にでもある「今日じゃない」がその日だったから、御嶽山の噴火は「地震だけじゃなかった、歌詞にもある活火山だった、そうだった」になった。というより、地球は、動くように出来ている。
映像は、検証するのに、ヒトの記憶より齟齬がなく、平等にできる手段でもある。物はみんな、使い方、使うヒト次第だけれど。
繰り返さない様に、同じ自責をしない様に、報道の仕方とか、試行錯誤しているのだろう。
テレビ、映像、媒体は数々選ぶ程。
もっとはやく自分の気持ちに気付けていたら、
見たくないものを見た時、どうしてる?って周りの同級生とかに聞いてみたかったかも、と思う。気に留めないのか、見た方が悪いのか、忘れたらいいのか、やめさせるのか。みんな、自分のことを話してくれたかな?
過去一度そういう機会になぜ?と聞いた時最高の答えだなぁと思ったのは
「一回観た、しんどかった、だからもう観ない、あれはしんどいってわかったんだから何度も自分からいかない」だった。
それは、その時は、自分の中には無かった答えで、「周りからそれ許されるんだ」と驚きもあった。周りからの、と考える時点で、あの時の私は、ダメだったが、その最高の回答のおかげで、私はひとつ見るものを止めたキッカケではあった。
歴史を映像で覚える…
そういう脳を、遺憾無く発揮しているが、それは、私には耐えられない事がわかったので、そっと居なくなる、そっと閉じる。
無視とか、無関心とは違う。
下書きにしてて、もう少し分割しようと思っていたら、株価が暴落なんてことになってて、またか〜と思うんだけど、何度目だ?なんてことも同時に思った。
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