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1ヶ月の遷移

中旬から下旬、自分のカタチや自分というものが曖昧になる。
まぁまぁ、しょうがない。どうもこういうサイクルが来る。
下旬は急に「生きたくない」となるし、自分を保つ為に無理している気がして早く寝たい、ずっと寝たい、このまま死んでもおかしくないな、とナチュラルに考える、まるで以前から決まっている道筋を無理矢理変えようとして動くようで、納得がいかない。納得出来ていなくても毎日はやって来るから、綱渡りだ。その場その場で判断していく。

1ヶ月、約28日、4週間。
1週間ごと、人格が変わる様に、考え方が変わる。
そうして、ギリギリ、4週間目に診察日が来る。
また来ます、と言える状態を取り戻して、クリニックを後にする。

ギリギリこのサイクルを繰り返している。
一度、もういい、死のう、とした事実は安易に其方の計画を(周到に考えただけあって)廃案にはなっていない事を実感する。自分の中で、その案は廃案にはならない、と思っている。だから無くならない。

そんな事もう考えないでいいよという人格は、診察から2週間でまた姿がわからなくなる。
おかしい、あんなに自信を持ったのに、あんなに自分は出来る変われると、思ったのに、だ。

でもそんなのは当然だ。
40年近い葛藤や他人からの予測出来ないコントロールがあって、自分に自覚がないまま、自分に価値が無いと判断した自分を、変える事のほうが難しいのだから。

自分は変われる、と言われている。
変えられない他人と同じ場所に居ない様に、と言われる所以と考えられる。
だから場所を環境を、住処を、変えなければ、変えられない価値観がある。

人間は三代でも、100年経たないことがある。
たとえば、祖父母が大正時代に産まれていたら、その親は?
親の親は、明治か幕末か。

人が生きている間に、人が変わるには、変わろうと思った時、その瞬間、変身するように生まれ変わるわけじゃない。
それおかしいよ、と言った瞬間に霧が晴れる様にその場の価値観が変わるわけじゃない。
ジワジワとゆっくりと変わる…
、それこそ1人の人生80年賭けても、足りない。

本当に、足りない、短い生なんだな、とわかっているだけ、まともな気もする。

勿論、そんな事じゃなく、日々体調を崩さないように食べ物にも気を遣い、足りない栄養素はサプリメントで。
わかっている。
それでも、それを上回って日々が結構ギリギリだ。
そういう4週間なんだ、と、まぁまぁしょうがないね、と過ごす。

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