例え話はなぜ分かりやすいのか
僕は近頃、漠然と「分かりやすさ」ばかりを求める人々の声に対していくつもの疑問を抱いている。
そもそも「分かりやすさ」とはいったいどんな指標なのだろうか。
「分かりやすい説明」で、何を理解できているのだろうか。
なぜそれが「分かりやすい」と考えて説明するのだろうか。
このように、考え出すとキリがない。
このままではいつまでも疑問が発散し続けるだろうから、ここで一つの打開策を講じてみようと思う。
「分かりやすい」
この日本語の文字列をそのまま形式的に意味を分解してから再構築する方法だ。
「分かりやすい」=「分かる」+「易い」
=「理解する」+「簡単にする」+「可能である」
=「仕組み」+「明らか」+「一つ」+「纏められる」
=「仕組み全体を見通して一つに纏められる」
こんなところだろうか?
これでも抽象的で、よく分かったような分からないような曖昧さが抜けない。
「仕組み全体を見通して一つに纏められる」
これはつまり、言葉として表に出た情報内部の意味が織りなす情報の構造を「仕組み」とし、これ全体を把握した上で「一つに纏め」て新たな上位要素、つまり意味が詰め込まれた箱として見なすということ。
概念の情報はいくらでも分解できる。そしてより詳細な意味をそれぞれに与えてまさしく「構造化」することができる。それを意識した上で現象と照らし合わせても誤謬が無いように思考し論じるのが論理だ。
であるならば「分かりやすさ」とは、伝えたい情報の構造を的確かつ単純に伝えて、かつ聞き手の知識の中にある構造に近い意味構造を探し当てた表現と言える。
では聞き手の知識の中にある構造と、話し手の表現の意味構造が近付くだけで何故理解できるのだろうか。
そのヒントは構造、つまるところシステムの「同型性」にあると考えている。
同型性とは、「一般化した複数の集合が"="で結べる同じ構造である」という意味の数学用語。つまり「AとBは見た目は違うが根本的には同じ」と言っているようなもの。
自然界にも同型性を示す不思議な共通点が多々存在している。
以下の記事にあるような、黄金比、つまりフィボナッチ数による理論化によって同型性を示す共通な形状は、オウムガイの貝殻や銀河の螺旋、ヒマワリの種やトンボの複眼の配列など多岐に渡る。これらは形状の根本的な法則性がフィボナッチ数を介して同型性を示すため、形も大きさも違うものでも共通点を見出せる。つまり「オウムガイの貝殻の形は銀河の渦巻きの形のようなもの」と例え話にできるということ。
根本的な同型性の本質を捉えた例え話は、情報の構造が示す意味の大元が同じであるため「分かりやすい」のだ。
という事は、結局の所「分かりやすい説明」をするならば、例え話などを交えながら、聞き手の知識の中に既にある情報の構造と同型性を示す言葉や表現を探し当てるべきなのだろう。
結局の所論理の根源すらも、長い人類の歴史の中で、自然の現象と同型性を示す情報の構造を意味するように構築されてきた結果と言えるのではないだろうか。