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疑問をもつこと(365日Screen094)

私たちが最初自分の状態に疑問を持つとき、
その疑問はこんな形をとるかもしれない。

たとえば、
なぜ私はこのように苦しまなければならないのか?
というふうに。

あるいは、その疑問は
私の今のこの苦しみにどんな意味があるのか?
という形をとるかもしれない。

しかしやがて、その疑問は、
私の今のこの苦しみの意味は、
今この瞬間私が感じている意味以外に
他のどんな意味もあるはずがない、
という結論にたどりつくかもしれない。

なぜなら、
いまこの瞬間に体験されている意味が、
他の瞬間の別の体験や
他の体験者による他のいかなる意味によっても
代替されることはできないからだ。

そのため
もし世界に意味があるとするなら、
自分にとっての世界存在の意味(目的)は、
いま自分がこの体験をすることだということになる。

あるいは
自分の世界が存在することの意味(原因)は、
いま自分がこの体験をしていることだということになる。

思考はいろいろな解を呼び寄せる。
どのような解も同じ思考空間からきており、
思考空間以外の真実を指し示すことはできない。

どんな回答も
単に元の思考エネルギーが呼び寄せた
思考空間からの反響にすぎない。

思考の理解の究極は、
思考の停止を呼び寄せることでしかないだろう。

思考に
思考空間内のたらい回し以上のことを
期待することはできない。

つまり
疑問を持つということの到達範囲は
その程度だということだろう。

だが、
起こっていることは
疑問を持つように誘っているわけではない。

起こっていることに
どんな客観的な意味もない。

それはただこの瞬間の意識の見かけだ。


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