個の時代への一つの経路(365夢Screen118)
地上ではいましばらく
「お金」が必要な時代が続くだろうが、
やがて「お金」が必要なくなる
世界に成ってくるだろう。
別な言い方をするなら、
個人が分断隔離されることによって
人々がますます個人を信頼できなくなり、
「お金」によって完全に管理される方向の世界と、
人々が個人としてつながることによって、
「お金」がだんだん無意味に成る傾向の世界との
2つの方向に分かれてゆくことだろう。
どちらが優れた世界だというわけではない。
それは個人の選択の問題だ。
競争し、戦い、優劣を決める遊びに
まだ未練があって、もう少し続けたいか、
ほとほとうんざりして、
別の遊びをしたくなっているかの違いにすぎない。
「お金」の支配から離れてゆく方向では、
まず少し個人が落ち着くための
余裕をもつことが必要になる。
そのためにはある程度の生活が
成り立つのは当然のことと見なされ、
夢中でサバイバルにフォーカスしなくとも、
なんとなく生きられるのが当然と感じられる
社会基盤が必要になるだろう。
その方向の社会に到達するためには
「自由貨幣」による「国民生活通貨」の体験は
ひとつの最短経路を形成しうるだろう。
ひとたび減価通貨による
「国民生活通貨」を体験した人々は、
「お金」というものの基本機能が何なのか、
そして従来の法定通貨がどのような詐欺だったのかを
身をもって体験している。
この経験値はもう元の無知には戻らない。
この経験をしたものは、
人を信用するためには、けっして
「お金」は必要ではないことを知っている。
自分自身が自立していて、
自分に自信があって、
他人に対しても卑屈に成ることなく、
人に対して開いているなら、
いつでも気の合う個人とつながることができ、
その時々の必要に応じて、
それぞれ自身のある能力を提供し合えば、
あえて生存の心配などする必要などないことを
誰もが知っているからだ。
そのような世界に移行するためには、
「国民生活通貨」の体験は、
個人の自立に到達するための
必須ではないにしても、とても強力かつ効果的な
一つの「渡り廊下」を形成できる。
そこからは
自立した個人たちの世界が始まるだろう。
家族は自然消滅してゆくことだろう。
家族として生活することが最も楽しければ、
むろん、そうしたらいい。
しかし必
ずしも家族にこだわる必要はないと感じられれば、
自立した個人として生きるのもいい。
それはまったく個々のっ個人に任される。
そんな社会に向かう一つの経路として、
国民一人あたり、
毎月「Form」紙幣10万円が支給される社会は
どれほどの安心を国民にもたらすだろう?
「FBS通貨」が支える「国民生活圏」は、
今では考えラ得ないほどの安心を
まず国民一人一人にもたらすことだろう。