歴史変動17 2023.1.31
万葉集1番歌は大泊瀬稚武天皇(雄略天皇)の歌です。
農家の娘が野原で菜を摘んで居る処の情景を歌って居ます。我こそは、倭の天皇だと歌って居ます。
凄い天皇ですね。有力者を次々に粛清して居ます。
市辺押磐皇子は、偽りの狩に誘い出し、猪だと云って射られ殺されました。皇子の帳内佐伯部売輪、屍を抱きて駭(イワ)け惋(アワ)てて、所由(セムスベ)を解(シ)らず。と有ります。【岩波文庫日本書紀(三)P22L2~11】
市辺押皇子は、倭の五王讃の子の嘉です。日本書紀に最初に登場する菟道稚郎子です。高句麗からの書状を破り捨てた人です。此気性が受け継がれた子の飯豊青天皇に、半島戦に敗北し戦死後に雄略天皇の子の清寧天皇は殺されるのは当然です。
新羅が都督府となったので、仁賢天皇(満)は、新羅側に付いたのです。
狗奴国の継体天皇が、物部アラカイを使い、磐井の乱として成敗して居ます。
満の子牛慈は、土地を献上して、夜須の評督となりました。崇神天皇の子の豊樹入彦子孫が住む北関東のサキタマ古墳に眠って居るのは、牛慈ー武烈天皇でしょう。
此れで、神功皇后から続いた東鯷国系統は終了となったのです。
柿本人麿は、真実を後の世に知らせる為に、此件を万葉集の1番歌に持って来たのです。
2番歌は、菟道稚郎子天皇の歌です・
3、4番歌は、倭国本朝と東朝に関する歌です。
第35代皇極天皇と第37代斉明天皇が重祚と思って居る限り、3番歌4番歌は解けません。