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国際政治同時進行世界史&日本史 金錯銘鉄剣 2024.9.14
埼玉県に有るサキタマ古墳群内の稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣には、文字が刻まれて居ます。
其の中に、辛亥の年七月中に書くと記されて居ます。
此処の辛亥の年は、西暦411年、471年、531年の可能性が有ります。
雄略天皇の在位は、安康天皇3年11月13日から~雄略天皇23年8月7日です。
稲荷山古墳造営は、5世紀後半です。よって、531年は消えます。
雄略天皇は、各有力者を殺害し続けて居ます。誰からも支持される筈は有りません。よって、471年説も消去出来ます。学会では、此の471年説を支持して居ます。小生には、訳が判りません。半島人の学会なのでしょう。
日本史を潰したくてしょうが無い様です。
小生は、411年説です。此の年は有名です。
聖天皇が、香春岳に登り、平野を見たら、朝の煙が立ち登って居ない事に、心を痛めて、3年間無税にした。更に、3年間の無税を決めた年でも有ります。
此の天皇は、豊城入彦系統の仁徳天皇では有りません。
又、宇道稚郎子天皇でも有りません。宇道稚郎子天皇は、半島戦で、戦死して居ます。
邪馬台国の姫の髪長姫を皇后に持つ、隼総別天皇です。金錯銘鉄剣中では、獲加多支鹵(ワカタケル?)大王と呼ばれて居ます。倭国本朝と倭国東朝の両方の天皇です。
412年に、大鷦鷯により、高山(香春岳では有りません。)に上らされて、下山後に殺害されて居ます。
記紀の著者や、弄った朝鮮人藤原不比等は、朝鮮族の仁徳天皇を聖天皇とホラを吹き巻いて、来ました。
小生は、皇族ですが、大陸の満州出身の天照大神直系子孫です。
もし、此の時代に居たならば、情け容赦無く、背後から、斬り捨てたでしょう。
隼総別天皇逝去後、倭国本朝は、允恭天皇が天下を取りました。倭国東朝は、履中、反正が天皇となって居ます。其の後、倭国本朝の倭王讃-允恭天皇が、倭国東朝を制覇して居ます。
半島戦で勝利したのは、倭国本朝と倭国東朝の天皇の倭王武-雄略天皇です。489年崩御です。
次の継体天皇は、494年即位です。
弥生人は、同族の朝鮮人を引き立て、中国人と同様に、縄文人を、鬼、天狗、隼人、熊襲、夷俘、蝦夷、エミシと蔑む傾向が有ります。
もう、いい加減に止めてクレ無いかな。
さも無いと、制御不能の事が、起こるでしょう。