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その答えは、「面白そうだったから」。

 母さんは三人の娘がいて、それなりに色んなことがあって、時々に言葉を交わし合ってきたけれど、「なんで私を産んだの?」と問われた時は、さすがに苦しくて悲しい気持ちになった。
 「お前なんて産まなきゃよかった」、「産んでくれなんて頼んだ覚えはない」。
 親子の葛藤シーンに出てくる定型文みたいなこんな台詞があるけど、まさか上の句なしで、下の句だけ受け取る日が来ようとは母さんは思ってなかった。
 同じ問いであっても、母さんに対する純粋な好奇心から発せられたものであったなら、たくさんたくさん伝えたいことはあったのに。
 残念ながら、その時のそれは問いですらなく「生きているのが苦しいよ」という嘆きそのものだったから、能天気な本当の答えを返すわけにもいかず、「産まないなんて選択肢は無かった」、「あなたに会いたかったから」と、嘘ではないにせよ当たり障りのないそんな返答を絞り出すのが精いっぱいだった。

 あれからまだ数年しか経っていないけど、君はまだその時のことを覚えているだろうか。あの暗い沼底のような日々からすると、君は今すいぶん遠いところで生きているから、さらりと同じ問いを笑顔で投げかけてくれないだろうかと、母さんは虫の良いのぞみを抱いている。

 それというのも、少し前に観に行ったジブリ映画で、その問いにはこう答えたいと願っていた言葉に出会ったからだ。それは言わば「お前なんか産まなきゃよかった」の真逆の台詞。母から子への、そして母となる自分の人生への祝福のメッセージに、母さんは強く共感し心揺さぶられた。私もそう言ってその扉を開いて過去に戻る、たとえ死が待っていると知っても…!と思いながら、そう思える自分の境遇にただひたすら感謝した。

 君たちを産んだ本当の理由は「面白そうだったから」、それに尽きる。
 母さんは三回出産する機会に恵まれたけど、それは一貫して変わらない。4回目の妊娠は残念ながら着床にも至らず受精卵はどこかに消えてしまった(だから正確には妊娠とも言えない)けれども、妊娠検査薬が陽性を示してから医師の診察を受けるまでの数日間、母さんは4回目の出産がどんな体験になるかを夢想して胸を高鳴らせていた。妊娠も出産も一回一回がチャレンジで、新鮮で、面白かった。

 母さんが、妊娠や出産を面白そうと思うようになったのは高校生の頃だった。身近な誰かが出産したとか、赤ちゃんと触れ合って可愛いと思ったとか、そういうリアルな体験ではなく、ある意味オタク的というか観念的なできごとがきっかけだった。
 そのできごと(というか母さんにとってそれは「事件」だった)に遭遇するまで、母さんは女の子に生まれてきた自分をひたすら呪っていた。見た目も性格も可愛くないと言われ、女の子らしい遊びには興味がなく、女子のグループからはいじめられ、勉強で良い成績を取っても「男の子だったら良かったのに」と言われる。中1の冬に生理が始まり「ひょっとしたら私は男の子かも」というかすかな希望も打ち砕かれると、オタク道に邁進して思春期の暗い時間をやり過ごすしかなかった。
 その頃、母さんは『地球大紀行』というNHKの科学番組にハマっていた。46億年の地球の歴史を最先端のCGや美しい音楽とともに伝える番組で、宇宙や生命の壮大なドラマに毎度魅了されていた。そんな折に、高校の生物の授業で「発生反復説」という学説について学んだ。これは「個体発生は系統発生を繰り返す」というフレーズと共に教科書にも載っていたのだけど、その後この説は否定されたと聞いたので、今の教科書には載っていないかもしれない。ともかく、生命はその発生の過程(人間なら受精から胎児になるまで)において、その種に至るまでの進化の過程をなぞるように展開するという説だった。
 それを知って、母さんは震えるほど感動した。
 妊娠するという事はすなわち、胎内で37憶年の生命の歴史が展開されるということなのか…!なんてロマンティックなのだろう、と。私は女性だから、そんなスゴイ体験ができるかもしれないんだと気づいた瞬間、もう世界は180度変わっていた。
 オンナに生まれて良かった!将来結婚するかどうかは分からないけど、妊娠と出産だけは絶対しよう、そう心に決めた。母さんに起こった、それはコペルニクス的転回だったんだ。

 妊娠ってどんな気持ちや感覚が味わえるものなのだろう、出産ってどれほどの大仕事なのかな…?高校生だった母さんには全てがミステリアスで、想像も及ばないファンタジーの範疇だった。
 妊娠はパートナーとの、出産は子どもとの、それぞれ協働作業なわけだけれども、その「他者」に思いを馳せられるほどの大人でもなかった。
 それでも、産むという行為について「面白そう!」と思えたことは、母さんの人生を本当に面白くしてくれた原点であったように思う。
 女性であること、哺乳類であること、そういう体で生きていくこと。これら選びようのない事実に対して、科学というフィルターは、母さんの中に巣食っていた怨嗟を好奇心へと変えてくれた。それは、主体的に自分を生きるための第一歩だったかもしれない。

 ありがたいことに、こんな母さんに結婚しようと言ってくれる人が現れて、胎内に新しい生命が宿った。
 さあ、この体験を味わい尽くさねば!と母さんは一冊の本を買った。タイトルは『いのちのはじまり大研究―はるかなる生命の記憶』。そして産む場所は助産院と決めていた。産院情報を得るために書店のレジ脇にあった地域の子育て情報誌『ままとーん♪』の創刊号も手に入れた。それで十分だった。安っぽいマニュアル本や雑誌に、私がこれから味わうことごとのネタバラシをされてなるものか。これは、私の冒険なんだから…!

 あれから24年が経った。「私の」冒険と言って、私一人で成したことなどひとつもなかった。母さんを母さんにしてくれたのは君たちだし、助産院での三度の出産を乗り切った健やかなこの体は、両親からの貴い授かりものだ。三人の子はそれぞれ伸びやかに自ら育つ力を持っていた。それでも、数えきれない人の手に母さんは支えてもらわねばならなかった。妊娠も出産も面白い体験だったし、子どもたちは想像をはるかに超えて面白く育った。運にも縁にも恵まれた母さんは、君たちを産むために、共に生きるその人生に出会うために、何度だって過去への扉を開きたいと思える。

 産みなさい、子どもを育てなさい、と母さんは言わない。
 「面白そう」と思えるご縁があってこそ、それは挑戦しがいのある冒険になるだろうと思うから。
 自分の体を、人生を、面白そうって君たちが思えていたらいいな。
 面白そうって君たちを産んだ母さんの、それが一番のねがいなんだ。

2024年1月11日 山羊座新月の夜に。

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