なかい ひじり

仕事はフリーライター、性教育講師、占い師。 趣味は競馬。推し馬はセイウンスカイとタイト…

なかい ひじり

仕事はフリーライター、性教育講師、占い師。 趣味は競馬。推し馬はセイウンスカイとタイトルホルダー。 茨城県つくば市在住。

マガジン

  • 読まれないかもしれない、娘たちへの手紙

    母さんを母さんにしてくれた、三人の娘たちへ。 君たちと生きてきた日々の中で、感じたこと考えたこと、失敗したことうれしかったこと、手紙にしておこうと覆います。

  • 書き散らしの間"Imum Coeli"

    思ったこと、感じたことを、あまり考えずに綴ってみます。ICの淵に沈む双子座土星をすくい取るように。

最近の記事

”里のおばちゃん”として

 母さんは君たちが大好きで、とても愛おしく思っている。母さんのお腹の中で君たちは大きくなり、生まれた君たちを抱いて同じ床に就き、傍らで眠り、おっぱいをあげた。君たちは全員、助産院のスタッフたちが思わず笑ってしまうほど父さんに似ていたけれど、紛れもなく、君たちは母さんの子だった。  「親子と言っても、血がつながっていたことなんてないんですよ」。  保護者向けの講演会で、母さんはこのように話すことがある。実の子であっても、親とは違う人格を持っていて、「子どもには子どもの「性」があ

    • 言葉にまつわる、いくつかの記憶

       母さんは言葉の遅い子だったらしい。2歳を過ぎてもほとんどしゃべらず、心配したままちゃんは徳島(じいじの実家ね)のおばあちゃんに相談したという。相談されたおばあちゃんは徳島においでと言い、ままちゃんはその通りにした。多分、家族みんなで徳島に行ったんじゃないかな。君たちも知っての通り、母さんの下には年子の弟が二人いて、さすがにじいじが二人の面倒を一人で見たとも思えず、かと言ってままちゃん一人で三人の子連れで千葉から徳島まで旅行するのも大変だ。その時のことで母さんが聞いているのは

      • Babies open my future!

         「夢は見るものではない、叶えるものだ」というのは、日本女子サッカー界の第一人者、澤穂希さんの座右の銘だそうだけど、母さんは最近、「夢って見続けていると叶うものだなぁ」と、しみじみ噛みしめている。澤さんはきっと母さんの一万倍は努力の人で、対比するのもおこがましい偉人だけれど、ものぐさな母さんでも、夢を見続けることで生まれる「引力」がそれを具現化するということは確かにあるんじゃないかと思っている。  母さんが君たちを連れて初めて学校に出向いたのは、2005年6月のことだった。

        • そして、今日も台所に立つ。

           「ホント、聖って幸せそうに(または、美味しそうに)ご飯食べるよね」。母さんは若い頃、よく友だちにそう言われた。よく食べたし、残さず食べた。人が残したものまでたいらげて、「歩く三角コーナー」という異名をとるほどだったから、半ば呆れ気味にそう言われていたんだと思う。最近はあんまり言われなくなったけど、今でもおいしいものを食べるのは好きだし、家事の中でもわりと真面目にこなしているのは料理だと思う(ああ、それでも君たちのお弁当に関しては早々に投げ出したのだけど)。  実家で暮らし

        ”里のおばちゃん”として

        マガジン

        • 読まれないかもしれない、娘たちへの手紙
          13本
        • 書き散らしの間"Imum Coeli"
          2本

        記事

          その「幸福感」は、プライスレス。

           お母さんのお仕事は何ですか?君たちはそう訊かれたら、何と答えるのだろう?ひょっとしたら「主婦です」って答えるのかもしれない。色々やってそうだけど一言で言い表すのは難しそうだし、あまりお金にはなってなさそうだし。くどくどと説明するのが面倒で、ひとまず「専業」とはつけずに主婦としておけば間違いではないだろう、なんて。  もし君たちが母さんを「主婦です」って言っていたら、以前の母さんはひどく落ち込んだかもしれない。今なら、主婦って言えるほど立派に主婦業をこなしているわけでもなし

          その「幸福感」は、プライスレス。

          生まれたように、生きてゆく

           個性の源ってなんだろう。君たちは考えたことがあるかな?  母さんは性教育の講師として、ヒトの多様性を生み出しているのは、有性生殖という命をつなぐ仕組みだと話すことが多い。女性と男性が自らの遺伝子の半分を封じ込めた卵子と精子を差し出す。それらが結合すると新たな生命がはじまる。一人一人が異なる遺伝子を持ち、それを発現させていくことで個性が、集団としては多様性が生まれる。  全く同じ遺伝子を持つ一卵性双生児も、生れ落ちてからは(いや、その前からかもしれない)重ねていく経験が、目に

          生まれたように、生きてゆく

          素の心で世界に敵う

           今から15年前に家を新築した時、2階の洗面台の壁には横長の鏡を設えた。一番上の君が8歳、下の君は2歳の時だった。数年後には三姉妹が押し合いへし合いしながら、毎朝髪や顔を調えるようになるだろう。そんな朝のシーンを想像して、それだけで母さんは幸せな気持ちになっていた。  しかし、実際にはその鏡はあまり使われていない。顔や髪の細部を調えるには、洗面台の向こうにある鏡は遠すぎるのだ。結局のところ別の壁に設置した姿見の前に立つか、窓際に折り畳みの鏡を置くかして、君たちはめいめいにメイ

          素の心で世界に敵う

          生きてきたように死んでゆく

           君たちは、じぃじのことをどのくらい覚えているかな?  そもそも会っていない末っ子の君は、お仏壇の写真のイメージしかないかもしれないね。  じぃじは電気設計の仕事をしていて、母さんが物心ついた頃には自宅を事務所として働いていた。  昼間はテレビを見たり、昼寝をしたりで、ゴロゴロと寝転がって過ごしていた。母さんが小学生の頃は、土曜の昼に学校から帰るとじぃじは大抵テレビで時代劇を見ていた。それを一緒に見ながら、お昼ご飯を食べた。温め直したご飯とお味噌汁、そして時代劇が土曜の昼下

          生きてきたように死んでゆく

          私を生きる、この体だから

           母さんが初めて眼鏡をかけるようになったのは、小学2年生の時だった。以来、大人になってコンタクトレンズを使う時期もあったけど、基本的に眼鏡は体の一部のように常に携え、眠る時もすぐそばに置いている。  両親も弟たちも眼鏡をしているから、生活習慣と言うよりは、多分に遺伝によるものなんじゃないかと思う。ただ、三姉弟では私の近視が特に強かったから、子どもの頃に読書ばかりして外遊びをあまりしなかったことは、視力にあまり良くなかったかもしれない。  いずれにしても、成人する頃には裸眼の

          私を生きる、この体だから

          その宇宙の中心から見上げる空は

          「それは、数字では測ることのできない距離なの」 「人の心と、人の心をへだてる距離のように」  これは、少し前に母さんがAudibleで聴いた村上春樹の小説『1Q84』に出てくる台詞だ(聴いたものを書き起こしているので、字面は違っているかもしれない)。主人公の女性が異世界から元いた世界へと帰還する前に、別れなければならない仲間と電話で言葉を交わす。遠くへ行くと言うが、どれほど遠いのかと仲間に問われ、主人公はこう答えるのだ。物語の終盤、ただでさえ切ない気持ちがこみ上げてくるシチ

          その宇宙の中心から見上げる空は

          人生の踊り場で

           タイトルホルダーが引退して1ヶ月が経ったね。  コロナ禍を機に10何年かぶりに再び競馬を観るようになって、そこから始まったひとつの物語に美しくも幕が下りた。その場に、君と立ち会えたことの貴さを、母さんは静かに噛みしめ続けている。  母さんが最初に競馬に触れるようになったのは、大学を卒業して研究所に就職したての1996年だった。同期の仲間たちの中に競馬好きが何人かいて、彼らを中心にGⅠレースの予想大会を開いたり競馬場に出掛けて観戦したりするようになった。  個性豊かな同期

          人生の踊り場で

          その答えは、「面白そうだったから」。

           母さんは三人の娘がいて、それなりに色んなことがあって、時々に言葉を交わし合ってきたけれど、「なんで私を産んだの?」と問われた時は、さすがに苦しくて悲しい気持ちになった。  「お前なんて産まなきゃよかった」、「産んでくれなんて頼んだ覚えはない」。  親子の葛藤シーンに出てくる定型文みたいなこんな台詞があるけど、まさか上の句なしで、下の句だけ受け取る日が来ようとは母さんは思ってなかった。  同じ問いであっても、母さんに対する純粋な好奇心から発せられたものであったなら、たくさんた

          その答えは、「面白そうだったから」。

          母さんは君たちに手紙を書くことにした。

           初めてのお産をしたその日に、母さんは一通の手紙を預かった。それは、家の郵便ポストに届いたのではなく、ネット上の日記に投稿されたテキストで、生まれたばかりの君にあてて書かれたものだった。  2001年2月、21世紀に時が移ってすぐのこと。手紙を書いたのは「ざっく」と名乗り、モー娘のあややや競馬について(そして時に母さんが書いた競馬の記事について)の評論めいた文章を綴っていた人だった。母さんはその人に会ったこともないし、その人の顔も本名も知らない。ざっく氏の日記がほどなくしてネ

          母さんは君たちに手紙を書くことにした。

          前略(不登校だった)15の君へ 

          ※このテキストは親から娘にあてて書いた手紙を、娘の了解を得て公開したものです。トップ画像のカードは娘がフリースクールの先生方に終了式でお渡しするために描いたイラストで、これも本人の了解を得て使用しました。(2023/4/27追記) ------------------------------- 前略 いとおしい君へ 中学卒業おめでとう。 君が再び制服を着て、中学校の門をくぐる日が来るなんて、母さんは思ってなかったよ。卒業式を終えた午後2時の体育館。お花も照明も紅白の幕もそ

          前略(不登校だった)15の君へ 

          先駆ける者たちに視る夢は~1998セイウンスカイ~2022タイトルホルダー~

          きっかけはバビットだった。 2020年菊花賞、コントレイルの三冠を阻むかもしれないという上り馬のネット上の記事が私の胸をざわつかせた。 私はまず、過去15年くらいの菊花賞のレース結果を確かめた。勝ち馬に逃げ馬は見当たらなかった。1998年にセイウンスカイが菊花賞を制した時、1959年ハククラマ以来39年ぶりの逃げ切り勝ちと報じられていた。そこから22年の時が流れた。あれは、60年に1度の「事件」だったのだ。 私は就職した1996年の秋から職場の同期に誘われて競馬に触れ始め

          先駆ける者たちに視る夢は~1998セイウンスカイ~2022タイトルホルダー~

          エネルギーの使い方

          20年来の友だちから、誕生日のお祝いに「けせん団子」をもらいました。 このお菓子は私の母の故郷・鹿児島県鹿屋市の名物で、私にとっては好きな和菓子ランキングにおいてダントツ一位の逸品です。 あんこが練り込まれたお団子が「けせん」と現地では呼ばれる肉桂の葉に挟まれていて、香りと味の甘さにうっとりします。鹿児島でもあまり知られていなくて、これまでは取り寄せて食べていました。 少し前、夫がこのお団子を取り寄せてくれた時に、たまたまウチに来てくれていた彼女に一つ食べてもらって、「でき

          エネルギーの使い方