Babies open my future!
「夢は見るものではない、叶えるものだ」というのは、日本女子サッカー界の第一人者、澤穂希さんの座右の銘だそうだけど、母さんは最近、「夢って見続けていると叶うものだなぁ」と、しみじみ噛みしめている。澤さんはきっと母さんの一万倍は努力の人で、対比するのもおこがましい偉人だけれど、ものぐさな母さんでも、夢を見続けることで生まれる「引力」がそれを具現化するということは確かにあるんじゃないかと思っている。
母さんが君たちを連れて初めて学校に出向いたのは、2005年6月のことだった。2002年から参加していた子育て支援のNPOには、総合学習のゲストスピーカーとして親子で学校に来てほしいという依頼が時々舞い込んでいだ。
その時訪れたのは高校の家政科クラスで、女子生徒の皆さんに妊娠や出産、子育ての話をし、スタッフみんなで持ち寄った育児グッズに触れてもらったり、君たちを含め連れて行った子ども達と遊んでもらったりした。女の子たちは真剣なまなざしで話を聴き、君たちが何をしても「可愛い!」と歓声を上げてやさしく接してくれた。授業の前に実施したアンケーとでは、子育てのイメージについて「大変そう」とか「幸せそう」とか、ありきたりの短いフレーズで回答していた生徒さんたちが、事後のアンケートには、感じたこと考えたことを豊かな表現で書き綴ってくれた。
それは母さんにとって、とても新鮮で面白い体験だった。私たちを招いてくださった学校の先生もとても喜んで、「またぜひ来てください」と仰った。母さんはまたすぐに声が掛かるものと楽しみに待っていたけど、翌年もそのまた翌年も依頼は来なかった(後から分かったことだけど、その先生は翌年に異動になり、8年後の2013年に再び依頼をくださることになる)。
赤ちゃんと一緒に、学校の子どもたちと交流する。当たり前と思っていた日々の営みにスポットライが当たる。自分の子が「可愛い!」という温かい言葉のシャワーを浴びる。誕生の日の心境を語ることで、ハッと我に返ることもある。
自分が味わったこんな体験を、一人でも多くの親子に分かち合いたい。だけど、待っていてもその機会は年に数回あるかないか。学校を訪問できるのは、タイミングよく赤ちゃんを子育て中のスタッフに限られていた。
2007年の暮れには、生まれたばかりの三番目の君と一緒に高校に出向き、100人以上の生徒さんに抱っこしてもらった。その時の写真は母さんの宝物だ。君を抱っこする男の子、それを囲んで見守る女の子たち、男の子に抱っこを教える地元のボランティアのばあちゃんたち。君をまんなかに、誰もがホントにいい笑顔を浮かべている―。
こういう場をたくさんつくりたい。今の子育てと未来の子育てを明るく照らしあうような。赤ちゃんをまんなかに、地域の学校で色んな人がつながる、誰もが思わず笑顔になる、そんな授業を自分たちの手で届けたい。
いつしか、それが母さんの夢になった。
初めて授業を届けるまで、そこからまる4年かかった。周りの仲間に夢を語り、結局落とされた市の補助金のために企画書や予算書を作り、他県の事例を学びながら機を窺っていた。
ふ卵器で温め続けた卵の内側から、コツコツとノックされるように、突然おあつらえ向きの県の補助金の話が降ってきた。2011年の暮れ。一週間ほどで申請書をまとめて提出し、翌年2月の初旬に実施となった。一番上の君の学年3クラスで、6組のゲスト親子を迎えて交流授業を届けた。「いのちの出前授業」、のちの「赤ちゃんが学校にやってくる!」(略称「赤ちゃん学校」)のはじまりだった。
この時に一から(というよりマイナス時点から)母さんを支えてくれたHさんは、今でも大切にこの事業に参画し、自分の夢のように手を動かし時間を費やしてくれる。はじまりから、母さんは一人じゃなかった。
この2012年から、母さんの時間はこの夢を中心に回っていたといっても過言じゃない。他の仕事や活動をしながらも、常にこの夢をひろげること、つなげることを考えていた。NPOの代表を引き受けたのも、一事業として根付かせるためだった。直接的な子育て支援ではない出前授業は、団体内でも十分な理解が得られていたわけではなく、むしろ逆風の中でのスタートだったから。
それでも、一つ一つ場を重ねるごとに、参加するだけでなく、力を貸してくれたり、伴走してくれたり、地元に持ち帰って新たに立ち上げてくれたりするキーパーソンが次々と現れた。参加するゲスト親子だけでなく、場をつくるスタッフにも十分な楽しさ面白さ、やりがいがあることがすぐに分かった。やってもやっても、お金を生み出すわけでもないこの事業に、人が集まる。「三人目が生まれました!」と言って、ゲストに再登録してくれる人。ゲストとして参加した後、学校に復職したのでウチにも来てくださいと依頼をくれる先生。県の事業として広げていきましょうと尽力してくれた県の職員さん。人があるまるほどに、「引力」は増していったような気がする。
3年目で水戸のNPOでも取り組み始めた。そのおかげもあり、2018年からは県の事業「高校生のライフデザインセミナー」としても展開できるようになった。2019年には通算100校を突破。コロナ禍で依頼は激減したものの知恵を絞って県の事業は継続し、12年間で144校1万人を超える学校の子どもたちに授業を届けることができた。参加したゲスト親子さんはのべ600組にはなると思う。他の団体さんの取り組みも合わせるとこれらの数字はもっと膨らむ。
そして今年は県内の5団体が「茨城赤ちゃん学校ネットワーク」として協働の準備を進めている。今年度から初めて事業を手掛ける団体のスタッフが何人も授業の見学に来てくれて、目を輝かせて帰っていった。母さんが君たちと一緒に感じた、あの日のトキメキに似た何かを持ち帰ってくれたのかなと思うと胸が熱くなる。
母さんがこうして過去を振り返ることができるのは、事業のリーダーとしての役割を昨年手放すことができたからだ。目が見えなくなり、車の運転もできなくなり、コロナ禍の前のように事業を運営するのはどう考えても無理だったし、事業の継続には「誰でもできる」形にする必要があった。バトンを受け取ってくれたのは、最初の年にゲストとして参加してくれたMさん。お子さんが1歳半を過ぎた後も、子連れスタッフとして活動に参加し続け、場づくりをずっと楽しんでくれていた。
この春も毎年恒例となっている学校で今年度の活動がスタートした。母さんは当日だけ活動する一スタッフとして参加した。テキパキと立ち働くスタッフたちの姿に、ただただ頭が下がった。
この気持ちは、山歩きのそれに似ているかもしれない。風や景色や花々を楽しみながら一歩一歩進んでいたら、いつの間にか下からは望めない雲の上に出ていた。想像を超える眺めが見渡せて、振り返ると歩いてきた道がはるか遠くに見える。
母さんはアスリートじゃないから、一人で延々と自分を鍛えるなんてことはできない。出不精の母さんを君たちが外に連れ出してくれて、出会う赤ちゃんたちや赤ちゃんを囲む人たち、学校の子どもたちや先生たちが、声を掛けてくれて一緒に歩いて楽しんでくれた。そんな12年の道のりだった。
最近、子どもアドボカシーの勉強を始めた母さんに、「それで、次は何を目指してるの?」と父さんは訊ねた。母さんはちょっと間をおいて、「私ね、遠くへ、遠くへっていうそんな星をもってるんだよね」と答えた。
母さんの頭に思い浮かんだのは、小学生の頃、休み時間に眺めていたグラウンド。晴れた日の校庭にうずくまって地面を見渡していると、遠くにきらっと光る何かが見える。光る辺りに移動して透明な砂粒を拾い上げるけど、光っていたのがその一粒なのかは分からない。そこにうずくまって地面を見渡すと、遠くにまた光る何かが見える。それは雲母なのかガラスなのか、近づいても分からないほど小さい欠片が、日の光を鋭く弾き返しているのだった。楽しかったのかどうか定かではないけど、手のひらに透明な砂粒を握りしめて、一人夢中でグラウンドを這いずり回っていた記憶はかなり鮮やかに残っている。
何か大事そうに光るものを追いかけていくと、また何かきらめくものが視界に入ってきて、そっちに向かって歩いてみる。気づくとずいぶん遠くまできている。
母さんは、そんな風にして行き当たりばったりの人生を生きてきて、今また新しい光を見つけたところなのかもしれない。
赤ちゃん学校のスタッフTシャツのバックプリントには、「Babies open your future!」とある。母さんのアイデアじゃない。ネット上の知人が提案してくれたキャッチフレーズだ。
一番上の君が生まれるまで、母さんは赤ちゃんを抱っこしたことがなかった。君たちが母さんの未来を開いてくれた。赤ちゃんがもつそんなエネルギーを、親だけが独占したらもったいない。みんなで分かち合って、みんなが笑顔になればいい。それは、ヒトが遠くへ遠くへと新しい地平へ歩んでゆく原動力になるんじゃないかな。そんな夢とともに赤ちゃん学校を一人でも多くの人に託していきたいと思っている。
2024年6月6日 射手座満月に寄せて
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