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「会社は学校じゃねえんだよ!」への違和感の正体は?
「会社は学校じゃねえんだよ!」
というドラマが少し前にありましたね。
ドラマ自体は楽しくみていたのですが、今回はこのフレーズにフォーカスします。
当時は、「そうそう」と共感していました。
でも、最近、ちょっと違和感を感じる機会がありました。
それはなぜか。
よく考えてみると、この「学校じゃねえんだよ!」に対する共感は、働く側(教えてもらう側)の意識としての話だな、と最近思うようになりました。
結局、回り回って、「いい会社は、仕事の学校」なのではないかと思うのです。もちろん、教えてくれることもありますが、
・そういう仕事が用意されていること
・他の会社と異なることを学べること
・机上ではなく、実践で経験できること
・ミスったら、本気で怒ってくれる人がいること
・みんなで同じゴールを目指しているからこそ、失敗と成功を共有できること
という意味で、これこそが本来の学校なのではないかと。
その意味では、学校が学校として完成していないだけ(実践で学ぶ機会が少ない、緊張感のある場を提供し、ゴールを共有することが難しい)ではないかと。
つまり、「学校」を「学ぶ所」という意味で捉えると、
「会社は、究極の学校なんだよ!」ということではないでしょうか。
もちろん、働く側としては、「なんでも教えてもらうところじゃない」ということを意識して、自分で勝ち取りに行く姿勢が大事であり、「会社は学校じゃねえんだよ!」の本来の意味はそこにあると思います。ここはとても共感します。
ただ、この言葉が一人歩きしだした時に、環境を用意する側(経営者、マネージャー)からすると、誤認識が生まれるな、と感じました。これが違和感の正体です。
つまり、メンバーに対して、究極の学びの場と機会を提供してあげなければならないと思うのです。
それを、「会社は学校じゃねえんだよ!」に乗っかると、フォロワーシップに全てを求めてしまう発言にも捉えてしまいかねません。
経営者としては、究極の学校を目指さなければならない。
文字通りの「学校」では足りていない、そこでは得られない学びの機会を提供していかなければならないのではないかと。
このように強い言葉って、使い方と使う場所、その両者の関係で意味合いが変わってしまうので、とても面白いし、とても難しいものだと改めて思いました。
まとめると、
「会社は学校じゃねえんだよ!」に、
「会社は、究極の学校なんだよ!」を加えたい、ということでした。