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我々は、何者か?Insight scienceの存在意義と覚悟。
「我々は、何者か。」
この問いは、創業してから、常に自らに問うてきました。
「起業をしたい」というのは、ただの自己実現です。そうなると、業を起こしただけ、になってしまうと思うのです。
でも、それって、ただの自己満足なんでは?と思うんです。
仮に、自分が別の会社に社員として所属して、優秀な仲間と仕事を行うことにより社会に貢献する仕事のアウトプット(社会貢献度)を100としましょう。
つまり、起業して、この100を超えなければ、それって社会貢献ができていないってことになりますよね。サラリーマンでいるべきだ、と。
私自身、この100を超えようと考え続けてきましたが、当然創業したばかりの1人の会社ができることって限られるんです。
だから、最初は10くらいからスタートしたかもしれません。そして恥ずかしいですが、いまだに100を超えられていません。これは、本当に社会に対して申し訳なく感じることがあります。
しかし、人生の総量で見た時に、上回れればよいと考えるようにしています。それができると信じているし、その覚悟があるから起業という選択を選び、まだやめていないのです。たまに、自分の進化スピードの遅さに憤りを感じることもありますが。
今は、50かもしれない。でも、1年後3年後に500、1000となれば取り返せる、と考えています。その間、借金というか負債みたいなものが溜まっている意識です。
だからこそ、です。我々は、我々でしかなし得ないことをしなければならない、と考えます。
もう5年間でためた負債はかなりのものになっています。
普通に銀行の金利のように細かい利息を払っていては間に合いません。一発大逆転が必要です。100を101にするんじゃなくて、100を500にする方法を考えなければならない。これができることがつまり、起業した私の存在価値になると思うのです。
そのためにやるべきことは、大企業だとやり辛いようなこと、でしょう。
それは、新しいこと、リスクがあること、大企業だと恥ずかしくてできないようなこと、そんなことでしょう。
例えば、新規事業って、大企業で5年も赤字が続いたら、そして売上も伸び悩んでいたら、普通は止めさせられます。
でも、我々にはそれが継続できているんです(全くもって自慢することではないですが)。信じられる限り、命さえあれば、続けられるんです。
我々の存在意義って、今はこれでしかないんですよね。
でも、新しいことをやるとかリスクをとるとか、考えていても、普通のことをやってしまうことってあると思うんです。
だから、この記事では逆に、社会貢献度100を越えるために、我々がやってはいけないことを整理してみようかな、と思いました。
やってはいけないこと① - 人真似しただけのサービス
他のサービスをただ真似ただけのサービスなら、我々の存在価値はありません。社会全体にとって、いわゆる車輪の再発明をしない、ということです。
これは誰かを批判する訳ではありません。ただ、社会には結果的にか意図的にかを問わず、他者が発明した車輪をコピーしてお化粧をして新しい発明に見せているようなサービスってあるんじゃないか、って思います。
我々は、これをやってはいけない。
その"お化粧"はいつか剥がれ落ちると思います。そして、何よりも自分たちがそれって社会貢献度100を超えられないなら、社会的に見て価値がない、と思うんです。
そのサービスが本当に社会に貢献するなら、その会社に入ってそれを売ること、強くすることに専念した方が効率的に社会貢献度は伸びると思うのです。
だから、自ら事業をやるからには、独自の価値を発揮しなければ、存在している意味がないのです。
そのため、我々は、ただ流行を追いかけるだけであってはいけない、と考えます。流行に合わせて、独自の提案を創造する存在でなければならないと考えます。
例えば、AIが流行っているからというだけの理由で、AIのサービスを作ること。聞こえはいいものの、熾烈な競争にさらされて、もしかしたら少し儲かるかもしれませんが、終わってしまうかもしれません。社会貢献度的には、相対的にマイナス、です。
「我々がいなくなったら困りますか?」という質問に永遠に「Yes」をもらえないと思うのです。せいぜい、「たぶんね」と答えられるのではないかと。
やってはいけないこと② - 技術力だけのサービス
B2B SaaSにおいて、テクノロジー、つまり、技術力の高さがサービスの強みだと思いがちです。私も昔使う側の時、そう思っていた節があります。
しかし、これは思い込みでした。成功しているSaaSで技術だけがすごくて勝っているサービスなんて、私は知る限り思いつきません。その会社の文化や慣習や、素晴らしい考え方から機能だけでなく、サポートや機能強化がなされているのがサービスであると今は考えます。
今や、ほとんど技術力なんて、優秀なエンジニアがいて、ほぼ聞いたら真似できるもの、だと思うのです。
それよりも新しい概念を創り出しているかどうかの方が重要です。努力の上に努力を積み重ねて生み出したものであるか、の方が重要です。
例えば、Googleのページランクの仕組みは、Googleをこれだけの大企業にした大発明だと思いますが、これって技術力がすごいからだけで実現できたものではないと思うのです。その概念を考え出したところが最もすごいのです。
例えば、この仕組みを聞いて、後から真似できない検索エンジンはなかった、と思うのです。
でも、差が出るのは、なぜか。
新しい概念は、構築しだすと必ず障壁になんどもぶつかります。
「あれ、ここの計算どうしようか?こういう時はどう考えれば良いか?」と新しい問題が出てきます。それを毎日解決していかなければならない。
つまり、発明は単発のアイデアで完成している訳ではなく、アイデアにアイデアを塗り重ねて、ことごとくぶつかった障壁へ打ち勝ってきた集合体なんだと思うのです。
だから、表面的に真似しても、それらの障壁を超えられないと思うのです。
つまり、障壁を何度ぶち壊してきたか、がそのサービスの価値なんだと思うのです。真似すると、他の会社が壊してきた障壁をスキップできてしまいます。つまり、次の障壁を超えられる力がないのです。
これは大企業の新規事業が失敗しやすい理由でもあるのではないでしょうか。
つまり、"技術"というある程度形になったもの、一時点のものをみて、これがあればうまくいくという幻想は捨てなければならないのです。
やってはいけないこと③ - 完成するサービス
これは②と重なる理由でもありますが、作ろうと思ったものが、すぐに完成する、または完成という概念があるサービスは、"もろい"と思っています。
なぜなら、パイオニアとして開発をしてリリースをした後に、完成した時点で止まり、後は二番手の競争相手が追いつくのを待つしかないから、です。
技術1本のサービスはこれがいつか起きます。
だから、ほぼ永久的に改善が必要になるサービスでなければ、やってはいけないと考えています。
パイオニアとして創り出して、提案し、そこから、新しい仕組みを提供し続ける。開発し続ける。それによって競争相手をようやく振り切れるものではないかと考えます。
99.99%の競争相手が諦めるまで粘り続ける、伸び続ける覚悟。これが必要だと思うのです。だから、サービスを完成させるということは、少なくとも自分が生きているうちに到達しなくてもよい、と思うのです。
我々のサービスは、パートナーやお客様とともに伸び続け、社会に与える貢献度を100からジリジリと上げ続けるもので、それが止まった時、存在意義のピークに達し、後は減っていくだけ。
だから、名だたる大企業ですら倒産するのです。永遠の進化への覚悟が、唯一、生き残る道です。ダーウインが言うように、進化しないものは滅びるのです。これは企業でも同じだと思うのです。
私はアートに全く疎いのですが(1億円と100万円の絵の差がわからない)、よく「ピカソ」ではなく「ゴッホ」でありたいと言っています。
その心は、生前に成功を認められることを目指すのではなく、生死に関わらず社会に認められたということを成果として考えたいのです。
巨匠ゴッホの「生前に売れた作品はたった一枚であった」という逸話は、初めて聞いた時、感動しました。
これって、人に認められようとして生きていたら、できないことなのではないか、と。本当に、その仕事(絵)に没頭し、人ではなく自分の信じるものを追い求めなければできなかったのではないかと。
私もそうでありたい。人に認められるためではなく、自分が信じるものを実現することに没頭したい。
自分は自分が認めてあげればよいのです。バカにされても、足蹴にされても、辛酸を舐め続けても。
自分がやるべきと心の底から思ったことをやればよい、のです。
「他者に為すべきことを決めさせるな、自分が決めろ。」と。
やってはいけないこと④ - 承認欲求を満たすサービス
これは、そもそも私自身の性格による部分もあるかもしれませんが、
「承認欲求なサービス」、つまり、見た目がカッコいいだけのサービス、なんとなく満足を満たした感のあるサービス(問題の解決をめざさず、便利そうな道具だけを提供する)といった、
自己満足的なサービスの提供はしてはいけないと考えています。
これは、たまにあると思っているのですが、
世の中の大多数の人が、「これは画期的だ」「これは世界を救う」「これこそが求められていたものだ」と
信じるようなサービスが、実際はそうではなかった、と数年後にわかるようなものです。
こんなサービスを生み出してはいけない。
つまり、社会にとって脂肪や肉ではなく、骨の部分をしっかり見据えて、なくてはならないもの、を目指さなければならないのです。
だから、「すごいでしょ」というためのサービスを作る必要がないんです。
隆々とした筋肉をみて、人はすごい、カッコいいと思います。でも、歩くために必要な骨と最低限の筋肉があればよい。
筋肉を増強するクスリを作る方が華やかかもしれません。でも、我々は歩けること、走れること、その人が家族や友人と楽しんで生きるために必要なことを提供する会社でなくてはなりません。
でも、私も現代社会に生まれ、現代の"常識"やホモ・サピエンスとしての習性を多少は持ち合わせています。これからは100%逃れることはできません。
承認欲求がゼロな人間は、いないのです。それをわきまえることから始めようと考えました。
承認欲求ドリブンな仕事を、出来るだけやらないこと。
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以上が、やってはいけないこと、です。これを守ることがとても難しいのですが。
我々の存在が、社会にとって、圧倒的に社会貢献度が100(サラリーマンとしての社会貢献度)を超えた、1億くらいになったねと認められるようにしたい。
Insight scienceと言う会社に関わる全ての人が、他の企業に務めた時の社会貢献度を100とした時、200や1000にどうできていくか。
これこそが、我々Insight scienceの存在意義であると考えます。
そのために、我々は進化し続けなければなりません。
そして、その進化を、楽しまなければなりません。
週末や平日の夜や早朝でもよいなら少し手伝いたい、という方、おられましたら、ぜひ。
みなさんと、社会貢献度を一緒に増やせる方と一緒に仕事をしていきたいです!