運動会に感動を求めてはいけないワケ
小学校の一大行事といえば運動会ですね。
この日ばかりは、おうちの人もおじいちゃんもおばあちゃんもなぜか地域の人もみんな楽しみにしています。
元は地域のお祭りだったり、出店が来たりで
とにかくその地域の一大イベントだったから
その余波がいまだに続いているものと思います。
ところが、この運動会の位置づけが教育現場ではとても微妙なのです。
「運動」をしない「運動会」
まず運動会と言う名称です。
一体これは何を目的とした行事でしょうか。
行事の中に運動と言う言葉が入っています。
じゃあ当然体育の授業ですよね?
しかし学習指導要領を読んでもどこにも
「体育の授業として運動会をやること」
と明記されていません。
つまり、運動会は文部科学省が定める教育課程の中に存在しないのです。
これは「健康安全・体育的行事」なのです。
ここまで聞いて驚かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、ここがとても教育現場では重要です。
炎天下の中座り続ける子ども
次に、運動会の内容です。
運動会をよく思い出してみてください。子どもたちは、運動会の間ほとんど運動していません。
何をしているでしょうか?
そうです。
椅子に座っているのです。
ひどいときには炎天下のもと
太陽の光が降り注ぐ中で、1時間くらい座っています。
そしてほんのちょっと演技をしてまた椅子に座ります。
これが果たして子どもにとっての運動なのでしょうか。
教育現場ではこのことについて、ごく稀に議論が起きます。
心ある教師が1人でも職員室にいれば、このような炎天下に子供たちをさらすことよしとできないからです。
しかしほとんどの場合
「毎年やってるから」
「地域の人たちが楽しみにしてるから」
「他に案がないから」
という理由でこの炎天下に子どもをさらす行事はほとんどの地域でなくなりません。
次に、問題になるのは演技の内容です。
運動会の演技で、お子さんはどれだけ運動をしますか?
最近消えつつあるとは言え、まだまだ徒競走を行っている学校もあります。
そして学年種目などのちょっと変わった面白い競技があり、そして表現種目ではないでしょうか?
徒競走は走ったら数秒で我が子の出番は終わります。
学年種目もそうです。
我が子が1番長く見られるのは表現種目ということになります。
表現を求めすぎると他の授業が犠牲になる
この表現種目がくせものです。
この表現種目って感動するんですよ。
一生懸命踊ったり振り付けをしたり、ときには組体操のような危険な演目もあるのです。
でもやっぱり果敢に挑戦する我が子の姿を見て親としては感動してしまうんです。
でもよく考えてみてください。
この表現種目の練習する時間はいつ?
国語、算数、社会、理科、音楽
、図工、家庭、体育、外国語、道徳、書写、総合的な学習の時間、学級活動、クラブ、委員会…その上運動会の係別活動もあります。
リレー選手の子はその練習や応援団の子はその練習…
その中でさらに宿題があり、漢字テストがあります。
短時間で練習して出来上がるほど簡単ではありません。
何時間も何時間も練習に練習を重ねて見栄えがあるものに仕上がります。
体育は一年間に行う時間数は決まっていて、例えば高学年だと90時間です。
1ヵ月前から練習を始めたとしても、徒競走、特別種目、表現種目の3種類をやらなければなりません。
徒競走に2時間、特別種目で2時間当てたとしたら、表現種目で使える時間は6時間から8時間程度ということになります。
しかし、表現種目にそんなにたくさんの時間を当ててしまうと1年間でやらなければならない体育の内容ができなくなる恐れが発生します。
ここで真面目な教師は悩みます。
他の体育を削って表現をすべきか、演技としてはイマイチだけれども時間数を守って運動会当日を迎えるか…
または、国算社理など他教科をつぶすか…
選択に迫られることになるのです。
さてお子さんの運動会の表現はどんな出来栄えでしたか?
そしてその演技に何時間練習を当てているのでしょうか?
運動会の感動の裏に
「体育の時数違反」があるかも
という問題があることを忘れないでください。
そしてそこまでして学校に感動を求めるのをやめましょう。
保護者が感動を求めれば求めるほど、真面目な教師は追い詰められるし、時数を守らない教師のクラスは学習が遅れます。
公教育ではなく、放課後の習い事で感動しましょう。
それぐらい今学校は疲弊しています。
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