うさぎが跳ねる、満月のはなし。
おや、今日は満月だ。
ピロリン♪と鳴る、スマホのホロスコープアプリがそう告げていた。
アプリはともかく、せっかくの満月なのに、空が曇っていて全く月は見えない。
ちぇっ。
お月様と言えば、うさぎが跳ねる十五夜がメインイベントだ。
十五夜は「旧暦での秋の真ん中」。
今年の満月は、10月1日。
十五夜の風習は今をさかのぼること、平安時代(めっちゃ昔)。
貞観年間(859~877年)ごろに中国から伝わったそうで、貴族がお酒を飲んで、舟の上から水面や酒の盃に映った月を見ながら詩を読んだり、音楽を奏でたりしていたとか。
なにそれめっちゃ風流。
江戸時代からはただの風流な遊びではなくて、収穫祭、初穂祭という意味合いが大きくなったらしい。
ちょうど稲の収穫時期だもんね。
小さい時、おばあちゃんが月見団子を作っていた。
月見団子は、十五夜にちなんだ15個を盛り付けし、そのいちばん上が霊界との架け橋になると信じられていたとか。
15個盛り付けし…たかどうかは覚えていないけれど、おばあちゃんは何となく綺麗にピラミッド型に盛り付けしていた。
小さな私は、それをヨダレを垂らしながら見ていた(もちろん、次の日めっちゃ食べた)。
また、家の近くにわちゃわちゃと生えていたススキを取ってきて、飾り付けしたっけ。
ススキは秋の七草、稲穂に似ていて魔除けになると考えられていたため、お供えされるようになったとか。
親戚は農家をやっていたけれど、うちは別に農家でもなんでもなかった。
でも、おばあちゃんが育った農家時代の事を、慣例としてそのままやっていた。
15個盛り付けたお団子も、今日は食べちゃダメだよ、神様にお供えしているからね、と言われたし。
おや、そういえば、いちどなにか物をもらった時には、全てお仏壇や神棚にお供えをして、それから食べていたような…?
例えば、お中元のちょっと高級なメロン。
水ようかんやゼリーの詰め合わせ。
小さな缶のジュースやビール。
それらは、いちどご先祖さまや神様のものとしてお供えされて、次の日になってから、ようやく私たちがいただけるものだった。
それらは私たち生きているものと、宗教的意味合いをもつ超自然的なもの、霊的なものとの交流としての、供物としての意味合いが強かったのかな?と、今では思う。
私は実家を離れ、おばあちゃんも数年前に亡くなり、十五夜のお月見をやることも参加することも無くなった。
でも、なんだか思い出したから。
今年は家族みんなで、十五夜のお月見をしようか。
お団子を作って。
15個、ピラミッド型に積み上げて。
昔はそこらじゅうにはえていたのに、なんだか最近はとんと見かけなくなったススキをどこからか調達して。
そんな事をぼんやりと考えた、満月の夜でした。
ねことコーヒーと牛乳がすきです。