「保護犬」という括りがなくなる未来へ。
「保護犬」
昔に比べて、最近ではテレビでも取り上げることも多くなり、目にすることも多くなったはずだ。
殺処分ゼロと謳う自治体も増えてはきているが、まだまだ残酷なまでに、家族の見つからない「保護犬」は溢れかえっているのだ。
どこにだって、善意もあれば悪意もある。
保護犬ビジネスという言葉すら生まれてしまうこの時代。
もはや「保護犬」って一体…と思わざるを得ない。
ペットショップの仕組みは正直私も憤る。
知ってしまったらそこから買う選択肢は私にはないが。
かといって、保護犬を飼うことは崇高なことというわけではない。
たまに目にする、保護犬VSペットショップで売れ残るのはいいのか!的なやつ…
保護犬を飼っている人が、友人に保護犬を勧めたが結局ペットショップで買った!と憤っていたり…
気持ちは分からんでもないが、相手を責めても仕方のない話だし、ペットショップにいる命そのものに罪はない。
仕組みの問題であり、その仕組みを作っているのはもちろん国民の意識なのだけど。
そもそも人は変えられない。相手の選択は、コントロールできないのだから。
私だって、何年も保護犬の話をしているが、家族すら変えることはできない。
母も姉も、保護犬にはとても関心はあるが、自分事となると、結果的にペットショップやブリーダーから迎えている。
それぞれに、言い分も正義もあるのだ。
一つ変わらない事実は、みんなそれぞれに、犬を愛しているということ。
綺麗事にすぎないかもしれないが、叩き合う必要は一つもないのだ。
みんな、愛する我が愛犬のルーツを辿ってみてはどうだろうか。
我が子を産んでくれた母犬に、感謝と愛を込めて。
母犬も幸せに生きていてくれていることを願い、想いを寄せてみてほしい。
私の愛犬は元野犬。
母犬は生きているだろうか…捕獲されたとして、生かされただろうか。
どこでどんな風に、我が子を愛した時間を過ごせていたんだろうか。
そして、パピーミルや繁殖犬虐待は目を背けてはいけない大きな問題だ。
知り合いから譲り受けたり、良質なブリーダーから飼うこと以外、もはや母犬のことを知るよしもないのだ。
「命の輪」
愛犬だけではなく、その子に関わる全ての犬の幸せを、みんなが想像できたら、少し世界は変わる気がする。
課題はまだまだたくさんあるけれど、まずはそれぞれに自分の意識を変えることから。
その先にはきっといつか、保護犬という言葉すら必要のない世界がくるはずだ。