
おっぱいによる支配
とある冬の日の朝、クローゼットの前に立ち、服を選びひっぱり出しているときのこと。
もともとファッションにそれほど強い関心がない私が冬服に求めることは、着心地の良さ、軽さ、温かさくらいのもので、選択肢は色と素材違いのセーター4-5枚しかない。ほとんど時間はかからない。
セーターを早々に決めて、次の選択はブラジャーだ。
登山用のメリノウールのブラ、ユニクロのノンワイヤー3Dブラ、ワコールのノンワイヤーブラ、リバティ柄のワイヤーブラ・・・今日はどれにしようか。そのとき、ふと自分が心の中でおしゃべりしていることに気づいた。なんで今まで気づかなかったんだろう。頭の中に活字が流れてくる。
”今日は、おっぱいを持ち上げたい?それとも、優しく包みたい?”
”うーん。今日は繁華街に出て映画を見たいし、その後近所のバーにも行きたいから、おっぱいはしっかり上げてこ!”
なんと私は、自分で自分のおっぱいにコンディションを確認していたのだった。一度意識が向いた後は、自分を俯瞰で見られるようになる。そこでわかったことは、私は毎朝ちゃんとおっぱいと会話している、ということだった。内なる会話に耳を傾けて、自分がどんなふうにその日のブラを選んでいるのか観察してみる。
"今日は面倒な会議ややり取りが多そうやし、締め付けたくない。ユニクロのブラトップで”
”昨日友達の話を聞いてめっちゃやる気もらったから、今日はワイヤーでぐいんと上げる!"
"今日は夕方にトレーニングやし、しっかり押さえるスポーツブラにしとこか”
色々なパターンを経てわかったのは、朝起きたときのコンディションと、その日の予定から想定されるメンタルへの負荷を確認した上でブラを選んでいる、ということだった。それも完全に無意識で。自分がおっぱいの位置でその日のテンションを少しでも良い方向へ持ち上げようとしていた(おっぱいだけに)ことを自覚すると、なんだか笑えてくる。39歳ってそういう年齢ですよね。
次にむくむく湧いてきた疑問は、私いつから自分のご機嫌をおっぱいの高さで測るようになっていたんだろう?ということ。
自慢したいわけではまったくないのだが、私の胸はどちらかというと大きい部類に入る。高校生のとき既にDカップはあって体育の時間がすごく嫌だったし、大学生のときには、夏にちょっとでも首元の開いたTシャツを着ると谷間が主張して意図せず異常にエロく見えてしまうので、着たい服を着れないことがストレスだった。「小さく見えるブラ」が発売されたときは衝撃で、当時の収入からすると高価だったけど速攻で買ったし、たしかクリスティーナ・リッチだったかが「縮胸手術」を受けたというニュースを見て、羨ましく思った記憶がある。
とにかく、若い時は無加工の状態でもおっぱいは高い位置にあり、谷間があるのが当たり前だったのだ。
それから約20年。
お風呂に浸かるとふわふわと浮かぶおっぱいを見て「あぁ、昔はこの高さにあったんだよな、私のおっぱい」とセンチメンタルになる程度には平均位置が下がっている自覚がある。ふわふわ浮くおっぱいを手で支えお湯から出た時ずしんと来るその重みに、昔はこの重力を支えてあの高さでキープしてたのか・・・と地球の重力と若い細胞の力の強大さを思う。
銭湯通いが趣味で年齢問わずいろんな女性の身体を見るのだが(活字で書くと変態みたいだな)、私的統計によると、同年齢の中では大きさの割に比較的形を保っていると思う。それでも、ニットやTシャツを着るときに気を抜いたブラをつけると目も当てられない残念なシルエットになってしまう。
おっぱいでご機嫌を取るようになった時期でなんとなく思い当たるのは、大学院に通っていたとき。ちょうどコロナ真っ只中のタイミングと重なったこともあり、在宅勤務、オンライン授業という環境で、おっぱいの位置はとにかく限界まで下がった。だって誰にも会わないし、課題に追われているし、締め付ける必要がないのだもの。それまでブラトップ否定派だった私が一転ブラトップ信者になったのも、たしかこの時期だった。
そしてコロナ禍が明け、外に出られる世界が戻ってきた。大学院も通学クラスが再開された。社会人しかいないし既婚者率の高い大学院とはいえ、ちゃんとした印象を持ってもらえるくらいにはしていたい。しかし、自分の服装はユニクロ・無印中心の地味系だし、何よりコロナ禍&不規則な生活で体重が急上昇していた。そんな自分にとって、人の目を気にせず色や柄を好きに選べ、かつ人にちゃんとした印象を与えられるのは、ブラジャーだけだったのだ。
すごく明るい色の服を着て自分らしさを主張する人も多いけれど、そっち側の人間になれないままこの年齢まで来てしまった。どちらかというと「こんな地味な服装だけど、実は結構ちゃんとしたブラジャーしてるんですよ私」と一人でこっそりニヤニヤすることを楽しんでしまうタイプとでも言おうか。銭湯でも、割と年配の方が赤いレースのブラジャーとか着け始めると「おおっ・・・!」と食い入るように見てしまうし、ちょっと地味そうに見える若い子が、立派なお椀型のぷりんっとしたおっぱいの持ち主で、サテンのブラなんかつけているのを見ると、そのギャップにテンションが上がる(活字にすると本当に怪しい人だな)。
自分にしかわからない背徳感や誰も知らない秘密を隠し持っておくことは、日々のストレスと戦いながらも自分らしさを失わないために、結構大切なんじゃないかと思えてならないのだ。