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「白教の輪」から考える奴隷騎士ゲール 2/4

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1.前回のおさらい

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■白教の輪(Way of White Corona
失われた白教の奇跡
白い光輪(Discus)は敵を切り裂き、やがて術者の元に戻る
かつて、神々の名残が濃い時代には
白教の奇跡は光輪(Aureoles)と共にあったという
そして偲ぶ者たちは
いつの日かそれが戻ると信じていた

・失われた奇跡とは誰も語り継ぐはずのなかった奇跡、シリーズ通してゲールだけがこれを“記憶”していた

・「輪、光輪」は英語テキストで3種類の特定性のある単語が使われており、それぞれ「形状」「用途」そして「聖性」を表していた

偲ぶ者たち=元神格または元聖人であると断定できる


奴隷騎士ゲールも偲ぶ者たちの一人、つまり元神格また元聖人だったというのが私の考えです。

次回の記事までにはそこへ行き着く予定ですが、この回では「白教の輪」以外の数少ない情報からゲールの「背景」について考えたいと思います。


2.神と人の梯子

「元神格または元聖人」という言葉は見る人が見たら疑問を覚えるかもしれません。「元ってどういうこと?」って。

ダークソウルの世界においては、「人から神に上がる/神から人に落ちる」という昇降格がたびたび見られます。まずはその事例紹介です。

■ミミック

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■貪欲者の烙印
古く神でありながら貪欲の罪で追放された
ある一族に課された烙印であるという(DS)

醜悪な貪欲者は古くは神であったという奇妙な伝承もある(DS2)

烙印の呪いによりHPが減っていく
貪欲者の姿そのものが、罪の烙印であるのだろう(DS3)

・ロイドの護符が当たると脱力状態になる
・亡者にだけ効く聖水瓶がミミックにも効く
・烙印の呪いがHPスリップダウン効果なのは、急速に亡者へ近づいている描写と思われる

これらの事からミミックの一族は、【神→不死人→亡者】へと哀れな崖下りを経た事が推測できます。

無印では人間性がアイテム発見力を高めたり、3で追加された「運」ステータスが人間の本質であると『アンリの直剣』が定めていた通り、物欲は人間のみに宿るものです。

輪の都で記憶を取り戻したパッチが、物欲の罠にかかったプレイヤーに向かって「それでこそ人の道」となじった場面は、シリーズ最終盤であるからこそ強いメッセージ性を発揮します。

ミミック一族は貪欲にとりつかれた時点で、人に下ることが確定していたと言ってよいでしょう。

※ 「醜い姿そのものが罪の烙印である」という記述。ゲールの赤ずきんが「その立場を衆目に示す」という可視的なラベリング機能と似ているように思います。


■弓の英雄ファリス=女神エブラナ

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今度はミミックの逆、人が神に昇格する事例です。

■レザーシリーズ(DS2)
狩りの神エブラナはかつて人であり
弓に秀でた英雄であったが
時代が下るにつれ、次第に神格化された

ファリスについて無印では英雄としての実体が登場しますが、2の時代に下ると実体がないまま神格化されていました。

偉人とはいえ一般人が崇められるうちに神格化する現象をアポテオーシスと言います。

これが盛んなのが中国で、孔子や関羽など人気のある歴史人物ほど神格化されやすく、各地に廟が建てられています。(私も台北の関帝廟に行きました。なんなら神戸にもあったりします)

古代ギリシャの詩人ホメロスは、わかりやすく神の偶像として絵画にも描かれています。(描かれたのは近代ですが)

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ドミニク・アングル『ホメロスの神格化』1827年

※ 実はホメロスについてはゲールを考察できる興味深い説があり、後述する事にします。

このように現実世界においても「人の神への昇格」アポテオーシスはあるにはあるのですが、これがキリスト教・ユダヤ教・イスラム教という同一の父なる神を戴く一神教にとっては非常に厄介です。

なぜなら、ありていに言ってしまえば、「人が神に成りうる」ということは「天地創造が元・人の手で行われた可能性」「人は神の被造物である」という矛盾(ジレンマ)が同居する事になってしまうからです。

ダークソウルの世界でも、神側の発想でいえば実は同じです。

■無印OP
だが、いつかはじめての火がおこり
火と共に差異がもたらされた
熱と冷たさと、生と死と、そして光と闇

この中に「神と人」という”差異”は含まれていない事に注目します。
どうやら火がおこって当初は、神と人に”差異”はなかったようです。
そういえば、グウィン・イザリス・ニトら神々と、人間の祖先たる小人は、「闇より生まれた幾匹か」という同じ括りでしたね。

では「神と人」の興りとは。

それは「火の時代の創造主」となったグウィンら神々が、自らが神で在りつづける為に創造した人工的な”差異”であったと考えます。

そこに、ミミックが自然現象的に人に下ったのではなく、誰かが「追放した=“差異”の境界線を越えさせた」という意図を見る事ができるのです。

神の創造物。それこそが人の器たる「神の枷」であり、カアスや黒教会はこの枷ひいては支配構造そのものを壊したかったのですね。

貴公が望むのならば、我が力をも授けよう 闇の王の力、生命喰いの力だ
その力で、不死として人であり続け 貴公ら人にはめられた、神の枷をはずすがよい


もう一つ提起するならば。
上述したミミックのように、元神がシリーズ全作に渡って登場していた…という事であれば、我々が出会っているキャラクターや敵のなかにしれっと元神あるいは元聖人がいてもおかしくはありません。ダイレクトな説明がされていないだけで。

真相はともかくそこは、我々が行間を読み取るしかないのです。私の場合は、「白教の輪」のテキストからゲールの今は無き神性を読み取った。という事になります。


以上でこの項は終わり…なので完全に蛇足なのですが、今回リサーチする中でこのような絵画に出くわしました。

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ゴーギャンにいたっては自分で勝手に光輪をつけて、自前で神性を帯びちゃう。

それはやはり、彼が「この絵画の創造主」であり「絵画世界の神」だから可能なのです。というか、そういうメッセージの画です。
凄まじい”我”だな…。


2.5.ホメロスの補足

ホメロスは紀元前8世紀ごろに『イーリアス』『オデュッセイア』といった最古級の叙事詩を残しました。
とはいえ、実在した人物なのかが実ははっきりわかっていないそうです。

実在否定派の意見にこんなのがあります。

ホメーロスという名前自体にも問題がある――ヘレニズム時代以前には他にこの名前を持つ人物は誰一人として知られておらず、ローマ時代となってもこの名前は稀で、主に解放奴隷が名乗っていた。

解放奴隷とな。

「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する。

ずばりこれやー!
…とも言いたくなるのですが、ホメロスが実際に奴隷だったとすると同じく奴隷のゲールと纏わる性質が似通るのは当然の話ともいえます。偶然といわざるを得ません。

ただ、ひとつヒントを見出せるとすれば、ゲールが「解放奴隷」である可能性です。

画家のお嬢さんの台詞を思い出してみましょう。

もうすぐ、ゲール爺が、顔料を持ってきてくれます
…ゲール爺も、いつか帰ってくるのかしら

どうやらゲールが暗い血の顔料を持ってくる手筈そのものは、二人で示し合わせた感があります。
ですが、アリアンデルに火を点す計画、そしてお嬢さんに顔料を届ける「その方法」——ゲールが帰らない事をお嬢さんは知らなかった模様。

これらは全て「ゲール自らの算段と意志」をもって行った事なのです。

(そもそもお嬢さんがヴィルヘルムに幽閉されて以降は会えていないはずですし)

奴隷に認められる権利というのは、その時代のその社会によってさまざまあるようですが、代表して古代・中世ヨーロッパの史実に沿うとまず「人格権」が剥奪される事が前提です。我ながらひどいたとえをすると、スマホを操るのにスマホの意志に左右されては困る、それが「主側」の発想です。

自分の自由意志が作用する時点で、ゲールは「奴隷ではなくなっている」可能性が否めないのです。

居場所無き忌み者たちの母よ。
我らの覚悟を、どうか見守りたまえ

ふむ、「お嬢様の覚悟」ではなく「我ら(お嬢様+ゲール)の覚悟」。お嬢様との主従関係はあるとしても、隷属関係では少なくともないようです。

続いてはこの話から少し遡って、彼が「奴隷であった頃の名残」が見える場所について書きます。


3.清拭の小教会

今度は視点を変えて、初登場の場面まで遡ります。
ゲールが卑屈な姿勢で祈っているのは清拭の小教会、深みの主教たちの奥座に隠された女神像です。

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深みの聖堂は、元は白教の聖堂でした。ゲールが白教信徒だった事を鑑みるに、顔を覆う女神が誰なのかは意見が分かれるところかと思います。

白教と縁が深い涙の女神クァトなのか、絵画世界と縁が深い罪の女神ベルカなのか。はたまた二人は同一神なのか…。

そもそも何故ゲールはこの教会で祈っていたのでしょうか。

注目したいのは清拭の小教会で拾える武器、イバラムチのテキストです。

■イバラムチ
鋭いトゲの生えたムチ
トゲは皮膚を引き裂き、出血を強いる

清拭の小教会で用いられたもの
儀式には、拭うべき滴りが必要なのだから


戦技は「痛打」
左側面から回り込むような一撃は盾をかいくぐり
その痛みで一時的にスタミナ回復を低下させる
人は皆記憶の底に、奴隷の痛みを抱えている
(The shackles of bondage lie deep in the hearts of all humankind.)

「教会で用いられた」とはっきり書いてあります。
拭うべき滴りとは当然「血」の事です。それはこの教会特有の「儀式」に必要だったと言っています。

「儀式」にムチを使うのです。穏やかではありません。
どうやら、ここはただの教会ではないようです。

古い観念によれば血とは「穢れ」です。「清拭」とは穢れを払う行為。
イバラムチを身体に打つ事によって穢れを人為的に発生し、地面に滴らせ、それを拭う事で「清拭の儀式」が完成すると。
この一連の自作自演が、過激ゆえ強力な宗教的意味づけを与えるのです。

※ 書きながら気づきましたが、マップの位置関係からすると小教会は聖堂の「裏手」なんですよね。聖堂の正式な出入り口の導線上になく、直接繋がっているのはいわば業務用通路です。一方、小教会側の正式な入り口から通じるのは「墓」のみ。神社の末社…よりも扱いがずっと雑。それどころか「秘匿」されている印象すらあります。ここは白教が非公式に認めてきた異端教会なのかもしれません。

もう一つ言うと、あの女神像は聖堂の方にも置かれています。にもかかわらず、あえて奴隷騎士ゲールがこの場所を選んで祈っていた意味を考えるなら、彼もまた儀式による「奴隷の痛み」を受容していたはずなのです。

そう、「奴隷の痛み」です。

まあ、こんな扱いはいつものことだ
(小教会で無抵抗のゲールを殺害後、再度戻った時の台詞)

鞭打ちという宗教行為は、イエスが磔刑される直前にユダヤ人兵から被った仕打ちに由来します。白教のおそらくモデルであるキリスト教にも、イエスの苦しみを追体験して原罪の赦しを得ようとする過激思想の異端宗派がありました。
(中世ベネディクト会の一派、カマルドリ会、新興系のオプスデイなど)

「清拭の小教会」も、イバラムチのテキストたった一つによって、とても正統な白教信徒が祈る場所とは思えないのです。

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ムリーリョ『鞭打ち後のキリスト』1665年

※ 鞭打ち刑の後、イエスは剥がされた服を拾い血を拭ったと言われています。縮こまった姿勢がゲールに重なる…。

この「奴隷の痛み」という言葉。戦技「痛打」を持つ他の鞭にも同じテキストが記載されているのですが、ゲールの話につなげてもう一つ興味深いポイントを挙げます。

「奴隷の痛み」は英語テキストでは「奴隷の枷(The shackles of bondage)」と訳されています。

ここでも枷です。

次回はこの翻訳から考えてみたいと思います。


4.ここまでのまとめ

・「人は神になる/神は人になる」、そんなNPC・敵とプレイヤーはしれっと出会ってたりする。他に実はいるかもしれないし、ゲールもその一人かもしれない

・DLC1、2に登場するゲールは「解放奴隷」ではないか

・清拭の小教会は血も滴るヤバい教会

・私の考察、どこ行っても「枷」

・ゴーギャンはゴーマン


5.あとがき

実はこの記事2部作の予定で、ここでまとめて終わるはずでした。が、投稿予定日に、なぜかnoteの下書きが消えてかなり構成を変える事になってしまいました。

これだけ長文になると全て再現はできず…。
ただし、新たな考察要素も、増えて期せずしてパワーアップしてしまいました(いうほど立派な考察ではないですが)

もしここまで読んでくれている人がいるなら、まだウダウダ続きますがよろしくおねがいします。
ご意見ご指摘もいただけたら幸いです!


次回はこちら↓


【参考・引用】
神格化 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%A0%BC%E5%8C%96
西洋古典学書評 - https://www.jstage.jst.go.jp/article/jclst/63/0/63_99/_pdf
主人と奴隷の弁証法 - https://kotobank.jp/word/%E4%B8%BB%E4%BA%BA%E3%81%A8%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E3%81%AE%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95-169806
ホメーロス - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%82%B9
ルターの奴隷の意思について - https://luther500.wixsite.com/jelc/single-post/2017/03/29/%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E6%84%8F%E6%80%9D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

DLC1テキスト集- http://blog.livedoor.jp/ebiflynageruyo/archives/49835853.html
DLC2テキスト集 - http://blog.livedoor.jp/ebiflynageruyo/archives/50926842.html

『ホメロスの神格化』 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%A0%BC%E5%8C%96#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jean_Auguste_Dominique_Ingres,_Apotheosis_of_Homer,_1827.jpg
『光輪の在る自画像』- https://www.musey.net/5380
『鞭打ち後のキリスト』 - http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-1876.html




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