「白教の輪」から考える奴隷騎士ゲール 3/4
前回のローディング
・神は人に成り、人は神に成る
・ゲールが奴隷であった名残は清拭の小教会にある。
・だが、画家のお嬢さんとは隷属関係にはなく、主人公と出会ったときは解放奴隷であった
・ゲールは奴隷騎士に叙される前は、元神格だった
1.奴隷の枷
■ウィップ/イバラムチ/まだらムチ
人は皆記憶の底に、奴隷の痛みを抱えている
The shackles of bondage lie deep in the hearts of all humankind.
「奴隷の痛み」という言葉、英語テキストでは「奴隷の枷(The shackle of bondage)」と表現されています。
無印OPに見るように、神々の原初の姿が「小人と同じだった」事を掘り下げるほどに、「奴隷の枷」が持つ言葉のとげとげしさが、動機に転換するように私は思います。
火の時代の神グウィンは人間を奴隷化したかった。
さもなくば、奴隷の枷なんて物騒なもの、人間は誰からも嵌められる謂われがありません。
ひいては、イバラムチのテキスト、輪の都の興り、カアスの台詞、そしてアン・ディールの台詞も生まれ得なかったでしょう。
■アン・ディールの台詞
かつて光の王となった者は、
人という名の闇を封じ込め…
そして人は、仮初の姿を得た
それこそが、この世の理のはじまり
(中略)
やがてその身に呪いを現す時まで
それは我らに課せられた軛(くびき)
闇こそが、人の内に宿る真実であるが故に
グウィンは、火がいつか陰るという真理を知っていただけに、闇が台頭することで人間とのパワーバランスを逆転される事を恐れた。
それゆえの「枷」。
大事なのは、人間の本質が闇だという事。そしてそれらをグウィンが恐れたという事。
この因果関係は、シリーズ最後まで出ずっぱりのパッチをはじめ、ほとんどの不死人NPCの根源とも言えます。
では、不死人ゲールの本質とははたして闇だったのか。
次の項で、見てみましょう。
2.偲ぶ者の神成り
ゲール戦の話に移ります。
ご存知のとおり後半戦は、背中から漏れ出す呪いの着地点に黒い澱みが発生し、そこに青白い雷が落ちる…。
この規則性ある一連ゆえ、「黒い澱みこそが雷を引き寄せている」という説を、私は自然と受け入れていました。
ですが、この雷という現象にゲールの力が介入しているか、否か、という点が非常に引っかかってきた今日この頃。
あくまで私の見方ですが、この説には二つの疑問が残ります。
① なぜ人間由来の澱みが、神の業たる雷を引き寄せるのか
② なぜ雷が落ちた後に澱みは消えるのか
※ フロムゲーの雷には黄と青の二種類あるようです。色の違いも大きな考察要素ではあるのですが、ブラボ・隻狼含めて一貫性がどうしても見出せないので今回はパスさせてください…。
疑問2点は、落とし込むのに悩みました。
今でも迷いがないわけではないですが、結論です。
この雷は、亡者化と神化を行き来するゲールによる最後の灯、世界へのケジメではないか。
説明します。
まず、黒い澱みが雷を引き寄せているわけではなく、ゲールが意図をもって黒い澱みの上に落としているものとします。
なぜか。私は、あの黒い澱みを誓約アイテムでもある「人の澱み」と見ています。
ゲールは呪い(小人の魂)をみずからの身体に留め、暗い血の顔料を生成するはずでした。ですが、一つの身体に、無数の魂。呻き声とともに不可抗力的に漏れ出て、それらが地面に落ちます。
※ 仮に、あれが地に堆積し続けると最終的に下記のような場所になるのでは。
それはさておき。ここでテキストを見てみましょう。
■人の澱み
人の内にある最も重いもの。人の澱み
それはどんな深みにも沈み
故にいつか、世界の枷になるという
この期に及んでなんという事か。
私は「神の枷」ばかりをしつこく話してきましたが、どうやら人由来であるこの澱みも「世界の枷」となると言います。
ともすれば、この世界のバランスとは、「神の枷」と「人の枷」、双方から引っ張り合う均衡によって成り立っている事がわかってきます。
よくよく思い返せば、そうですね。
画家のお嬢さんは、火(神由来)から着想し、暗い魂の血(人由来)を顔料として「新たな世界」を創造しようとしました。
どちらとも手に入らなければ絵は描けず、神と人間どちらかの成分に偏っても描けない。
火を知らぬ者に、世界が描けず、
火に惹かれる者に、世界を描く資格はない
この二律背反の台詞は、「人」にも「神」にもこの業は背負えないよという事を示唆しているのかもしれません。
※ もしかしたら全然違くて、「火を知らぬ者=フリーデ」「火に惹かれる者=主人公」という二人の灰の伝承に基づいた台詞、という可能性も否めませんね。
お嬢さんがおそらく竜(半有機体)の血を引いている事も関係しているのかと思います。
※ 今気づきましたが、お嬢さんには「ウロコ」があるんです!絵画世界にいる事に囚われすぎて、シース→プリシラの親族だろうと思ってましたが、彼らはウロコを持ちません。つまり、異なる竜(本物の半有機体)の末裔になります。
※ とすると、彼女が「お母さん」と呼ぶのは、神々との戦いに敗れた古竜である。もしかしたら、我々が姿は見ていないが名前だけ知っている人物である可能性もありますね…。
いずれにせよ、これまでの文脈において、「火」と「澱み」はそれぞれ世界を縛る枷となります。
ゲールは、“次世界”を描くという大業を控えるお嬢さんの為に、“現世界”の枷となりうるものは取り除かなくてはなりません。
故に、澱みが雷を引き寄せたのではない。
ゲールが澱みを討伐しなくてはならなかったのです。
では、雷が落ちると澱みが消えるという原理は何なのか。
それは、人間性(闇)を神性(光)で打ち消す、という理屈ではないでしょうか。
人間が地、神が天、この位置関係において現実の宗教観に置き換えても非常にわかりやすい。
■輪の騎士シリーズ
古い人の武器は、深淵によって鍛えられ 僅かにだが生を帯びる
そしてそれ故に、持ち主たちと同様に 神々に火の封を施されたという
物理的にも、精神的にも地の底に沈む深淵は、天の神々の力によって落し蓋をされる。
だが、そこで鍛えられた武器に生が帯びるように、呪い=人の澱み≒人間性にも生への執着が宿る。
やはり、やがて「灰」と名付けられる”差異”のない絵画世界には、あってはいけないものです。
今度は、ゲールがなぜ神性を纏うのかについて。
そこに裏付けとして出てくるのが、記事1/1で考察した、ゲールが「白教の輪」を記憶していた由縁です。
かつて光輪(神性)を頭上に懐いていたにもかからず、無名の王と同じく神の意図によって奴隷に落とされた。だが、それが再び戻る事を偲び続けた彼は、もはや疑いようもなく元神格/元聖人である。
さもなければ雷という現象は、「差異」がなくなりかけているこの場所、火の時代の終わりに、故もなく発生し得ない。
同じ吹き溜まりの世界で相まみえたデーモン王子は、デーモンという種族の終焉に「王子の誇り」を賭けて再び火を灯しました。
何もかもが終わりかけている世界です。
亡者と神の狭間にいるゲールもまた、最後の火を灯したのです。主人公を攻撃する為ではなく、お嬢さんの新しい世界創造の為に。
お嬢さんの創作そのものを、この世のあらゆる枷から解放して次の世界(ステージ)に押し上げられるよう。
言い換えれば現世界に対してのケジメとは言えないでしょうか。
それがゲール戦の雷の正体。
【補足】
ご存知の方も多いはずですが、雷は澱みの上にだけ落ちるわけじゃなく、フィールド全体に落ちます。
一帯の天候が変わっています。
これがゲールの力であれば、人外の域はおろか神性としても驚異的です。私的な解釈では、呪いが漏れ出すのと同じく、亡者化して神の力をも「御しきれていない」描写であろうと思っています。
再び無印OPを思い返すと、神の一族は古竜たちと戦争を起こし、そして勝利する力がありました。
神々の全盛期だった神代の時代には、無印~3の時代には思いもつかないような強大な力を発揮していたはずです。
我々は最後の一戦で、その一端を垣間見ていたのかもしれません。
3.私は何者であったのか
灰の人との戦いの最中で、本来の力を取り戻す。そういえばこの流れ、他のボスにも起こっていました。
①DLC1最終ボス:黒い炎のフリーデ
フリーデは黒教会を放棄し、絵画世界の住人となるにあたって自らの黒炎の業を封印しました。
二度と使うまいと自身で封印した黒教会創始者の黒き名残りは、第二フェーズで魂を共有したアリアンデル教父の働きかけによって復活します。
やはり君には、灰には、火がふさわしい
第三フェーズ、「黒い炎のフリーデ」の再誕です。
彼女にしてみれば絵画世界を燃やすという行為は滅びの始まり。
アリアンデル教父にとっては彼女への慈しみの境地。
その今わの際で、本来の自分の姿を取り戻す事になります。
②本編最終ボス:王たちの化身(第二フェーズ)
周知の説としては「これまで火を継いだ者たちの集合体」という事かと思います。こちらも第二フェーズで、見た目はそこまでですが、その中身は大きな変貌を遂げます。
螺旋の剣を地面に突き刺し、大炎を熾す姿。そしてダクソシリーズを象徴する文字通りの神BGM。片手直剣や、神代の奇跡と思われる雷の攻撃などはすべてグウィン、その神のものです。
王たちの化身は、最終局面で最初の火継ぎ者、大王グウィンの記憶を引き出すのです。数多くの魂が折り重なりながらも、化身の大元の姿を、フリーデと同じく灰の人との闘いの最中に目覚めさせる事になるのです。
※ ほかには法王サリヴァーンなども第二フェーズが怪しいのですが確証は得ていません。
私はいったい何者であったのか。
本編の最終ボス、DLC1の最終ボスの姿が、DLC2の最終ボスには当てはまらないとどうして言えましょう。
ゲール戦の第二フェーズには、ゲールから血が滴り、暗転します。
ああ、これが血か。暗い魂の血か。
暗転をきっかけに、呪いが身体から染み出て、雷がフィールド全体を覆う。一気に様相が変わります。
この瞬間、ゲールの中で何かが変わったのだと思います。
「顔料を得られたから私はもう死んでも良い」「辛く長い旅からようやく解放される」といった安心感なのか、「思う存分戦える」といった闘争心なのか。それはわかりません。
亡者と神の狭間…この二面性が、「呪い」が「雷」によって除去されるという現象に投影されている。その姿とは、私がこれまで述べてきた「解放奴隷のゲール」「奴隷のゲール」などを一気に遡り、我々が決して知らない「神々の名残りが濃い時代にいたゲール」です。
その根源を慮るヒントに、「白教の輪」という奇跡の物語が存在したのだと。
4.次回…
いよいよ、最終章です。
最後に、最高にぶっ飛んでてアツい「説」を紹介します。ぜひ読んでください。
【参考・引用】
ロンドールの黒教会、アリアンデルの絵画世界について - https://www.saiusaruzzz.com/entry/2019/07/22/120000
ACID BAKERY | 火継ぎの傍ら、世界を描く - http://acid-bakery.com/text/archive/love_souls/darksouls05.html
ダークソウル世界と「因果」 - http://yuzdiary.blog.fc2.com/blog-entry-13.html
神成(正教会) - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%90_(%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A)
テオーシス(人間神化思想)とはいかなる思想なのだろうか - https://open.mixi.jp/user/26450852/diary/1970684171
正教会とは - https://www.ocjmorioka.com/blank
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