ショートエッセイ:グンマ―の生活 (10)田舎は通学が大変で
空っ風がなくともうちの高校への通学はめっちゃ命がけであった。
私の通学時間30分(自転車→電車→徒歩で高校まで、だったにせよ)なんて相当恵まれていた方で、遠くからくる子は本当に遠くから来るのだった。
一番凄かったのは同級生で本人曰く「赤城山の上から1/3くらいのところに住んでる」
え~と、赤城山の高さは1,828mだから、彼女の家は標高1,218.6666666m…。
朝はお父さんの車に同乗し、帰りはバスで帰るのが彼女の通学であった。
他、一応前橋市だが「北部山沿い」と呼ばれる界隈に住んでいた子。
終バスが午後5時だったのでそれまでにはバスに乗らないといけなかった子。
桐生から上毛電鉄(単線のチンチン電車である)に起点から終点まで乗り込み、中央前橋駅到着後は…あいつ、どうやって高校まで来てたんだ? 自転車か?
余りに遠い人の場合はミニバイク通学が認められていたのだが、さすがに爆走登校してくる人は見たことない。
余談。遠いところから来ている子は、大抵地名で呼び名が決まる。
吉岡村(現・吉岡町)から通ってた松岡さんは生徒会長により早速"吉岡"というあだ名がつけられていた。
粕川村(現・前橋市)から来てるから"粕ちゃん"とか、玉川町から来ていれば玉ちゃんとか、駒形から来ているから駒形人とか、伊勢崎から来ていれば伊勢崎人とか渋川人とかもうめちゃくちゃ。
今でもこの伝統は続いているのだろうか…。
まぁ、それだけ昔の高校の通学には選択肢がなかったのである。しかし今はグンマ―の学区は全県一区なので、更に恐ろしいことになっているかもしれない。
少なくとも沼田からうちの高校に通っている子はいた。上越線は1時間に1本だ。
もしかしたら山奥から出てきて高校から下宿している子もいるのかもしれない。そういう子はグンマ―には昔からいたのである。