ショートエッセイ:神社の墓場
「京都 秘密の魔界図」(火坂雅志著、のちに『魔界京都』『魔界都市・京都の謎』と改名され文庫化されて再刊された)という本は良い。
京都中の魔所で、現在でも行けるところを羅列してある。この本には随分お世話になった。一条戻橋、北野天満宮、六道珍皇寺、安井金比羅宮等、いろいろなところに行ってみた。しかし行き損ねたところもたくさん残っていて、例えば「羅刹谷」なんかはずっと気になっていた。
東福寺と泉涌寺の間にある谷で、「羅刹」という、人の肉を食らう鬼が出たからそう呼ばれたという。
東福寺と泉涌寺の間というのが道に迷わなさそうで何か良い。地図を見ると、確かにこの二寺の間には細い川が流れている。渓谷だ!! こここそ羅刹谷に違いない。
当時は旦那と天皇陵参りに凝っていたので、東福寺を南に出て住宅街に入り、陵墓をいくつか見てから京都一周トレイル東山コースというのを通って、東福寺の境内に流れ込んでいる三ノ橋川沿いに歩いていけば、羅刹谷の雰囲気は味わえるだろう。
とまぁ、私は軽く考えていた。
京都に住んでいたこともあったのに。
真昼の光の中にでも闇が隠れ棲む地、京都…。
暑い。
時は8月。汗をびっしょりかいて咽喉がカラカラなのだが、住宅街では自販機の一つも見つからない。帽子もかぶらず日傘もささず、良く熱中症にかからなかったものだと今は思う。すみませんいろいろナメてました。
トレイルコースを抜けたらまた住宅街突入。
ああ、涼みたい。
「何かあるぞ」
旦那が言った。
駆け足で旦那に追いつくと、目の前に鳥居があった。
何だこのうっそうとした森は。森の中に鳥居が生えている感じである。
鳥居をくぐると…一体何でしょうかここは。神社か?
でも、神社としては狭すぎる。境内はびっくりするほど薄暗い。朽ちかけた鳥居がいくつもいくつも立ち並び、石造りのお社とか石碑とかが所狭しと設置されている。
バチ当たりだが、「神社の墓場」という感じである。
余りの異様さに、我々は写真も撮ることなく、光速で退散した。こ、これが羅刹谷なんですか!? 鬼は出なかったけど、別の意味で怖いぞ。
周囲は住宅街なんだけどね。但し人気はない。
そのまま逃げるようにして神社(?)を後にすると、数分してまた同じような構成の神社に出くわした。
「ヒッ」
この神社はさっきの神社より整然とした感じで、鳥居も綺麗に赤く塗られているのだが、小さいお社が一杯並んでいるのは、やはり一寸見慣れぬ感じで正直薄気味悪い。大体、どのお社にお参りすればいいんだ。
それにしても、二つの神社のどちらも住宅街が超近接しているのである。怖くないのか、この辺の住民よ。門の扉にフツーに布団とか干してあったりして…。
余所者の私たちは腰が抜けそうなほど怖かったのだけど、この地に住む人々には二つの神社は日常なのである。
もしかして初詣なんかもあそこで済ますのかなぁ…。
でも京都の人ってそういうのを平然と受け入れるよね。
例を挙げると…。
以前、豊臣秀吉が朝鮮出兵で捕虜の耳をそぎ取って日本に持って帰って埋めたという、耳塚を見に行ったことがある。
夕日に背面を照らされ黒く浮かび上がった耳塚は、なかなかの迫力ある怖さで、そのおぞましさに当てられた私は、捕虜の人たちに全力で謝りたくなった。
しかしこちらも普通に住宅街に囲まれているのである。夜とか怖くないのか?
また、友達に羅生門跡の辺りで部屋を探している子がいた。
しかし、地元の不動産のおばさんは、
「でのこの辺は夜になると鬼が出るからねぇ」
余りにシュールな物言いに 鬼とは痴漢かひったくりかなんかの比喩か? と友達は悩んだが、どうも不動産屋さんは本物の鬼が出ると思い込んでいるようだった。
しかし京都の人たちにとっては、それが日常なのだ。
よくあるオチだが、やはり京都の人が一番怖い。
P.S.
二つの神社ですが、最初に遭遇した方が御壺瀧大神、二つ目の神社が五社之瀧神社というそうです。バチ当たりな言い方をして申し訳ありません。
尚、興味のある方は、Googleストリートビューで中をご覧になるとよろしいかと。実際に行ってみる機会があったらもっと良いでしょう。京都以外では一寸見られないものだと思うので。
P.S.2
「羅刹谷」は私たちが歩いたところよりもう少し北にあって、今では住宅街と道路につぶされ、跡形もないんだそうです。
新しいパソコンが欲しいです…。今のパソコンはもう13年使っております…。何卒よろしくお願い申し上げます…。