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徴兵制の年間スケジュール

 戦前の日本では満20歳の男子は徴兵検査をうけ、合格者の中から徴兵されて入営する、というごくおおざっぱな話はよく知られています。こうした作業は毎年繰り返されるわけですが、実際にどういうスケジュールで進行していくのかをまとめた文というのはあまり見たことがありません。
 そこで、徴兵令の後継である兵役法、兵役法施行令、兵役法施行規則などの条文から流れを抜き出してみました。

届出

 ある年の前年12月1日から11月30日までに満20歳に達した男子がある場合、戸主は11月末までに役場に届出をすることと定められていました。例えば大正4(1915)年12月1日から大正5(1916)年11月30日までの間に生まれた者がいた場合は、昭和11(1936)年11月中に本籍地の役場・役所に届出をすることになります。この届出の時点で検査対象者はすでに20歳を迎えています。

 役場ではまず人数をとりまとめ年内を目処として管轄の聯隊区司令部に報告し、ついで名簿を作成し2月25日頃までにやはり聯隊区司令部に提出することとされています。徴兵業務は役場と聯隊区の共同業務になります。

 役場からの報告をうけた聯隊区では徴兵検査対象の人数を集計し師団司令部に報告します。師団司令部はそれをもとに聯隊区ごとの徴集人数の割り当てを決定し聯隊区に通知します。

徴兵検査

 聯隊区と役場は協議し徴兵検査日程を決定します。4月末から7月末に実施する例で意外に幅があります。聯隊区の徴兵官(兵科将校のほか軍医などから構成)がこの間に管轄区域内の各地を巡回するためでしょう。

 徴兵検査では結果を甲種(現役に適する)、乙種(現役に適する)、丙種(現役に適せず国民兵役に適する)、丁種(兵役に適さず)、戊種(病気その他の理由により適不適を判定できず翌年再検査)のいずれかに判定され、本人に通知します。なお「丁種を不合格とするのは間違いで全部合格だ」という趣旨の投稿をみかけたことがありますが、そもそも「合格/不合格」という単語は条文中には現れておらず、単に「いずれかの種別に判定する」とされています。

抽籤

 徴兵検査の結果を含む名簿をあらためて作成、聯隊区司令部では特性などを配慮し徴集兵種を選定します(例えば馬の扱いに慣れたものは輜重兵とするなど)。個人の観点からするとこの時点で兵種が決まることになります。また、海軍への割り振りもここで行なわれます(海軍兵の徴兵事務も陸軍で担当)。なお海軍の毎年の徴集数は海軍大臣から陸軍大臣に移され、陸軍大臣から師団司令部を経て各聯隊区に配分されます。

 抽籤ちゅうせんのため対応する兵種ごとに名簿を作成、各人に付番します。抽籤をまたず現役を志願する者については名簿の先頭に番外として記載されます。

 厚紙などでくじを作成、籤には徴集人数に応じて番号をふります。条文の解釈が難しいのですが、あとの手順からすると籤は抽籤対象者(名簿掲載)の人数分作成し、徴集人数以上は空白、あるいは決まった数以上だった場合は外れとでもしたのでしょうか。

 厚紙で作った籤を籤箱に入れよくかき混ぜ、名簿順に名前を読み上げるごとにひとつずつ籤をひきます。籤をひいた係官は番号を読み上げ、隣の係官に渡します。受け取った係官は内容を確認して記録したのち、さらに隣の係官に渡します。受け取った係官は籤を名簿に貼り付け、割り印を押します。

 抽籤によって現役徴集者、第一補充兵役採用者が確定したら改めてそれぞれ徴集者名簿を作成し、抽籤の時に使用され籤を貼付した名簿原本とあわせて師団司令部に提出します。

徴集

 徴兵検査で甲種あるいは乙種とされた者のうち抽籤にはずれた者は第二補充兵役に編入されます。丙種とされた者は第一国民兵役に編入され、それ以外(徴兵検査をうけなかったものも含む)は第二国民兵役に編入されますが平時にはこうした人たちが徴集されることはほぼありませんでした。

 現役兵として徴集されることになった者に対しては聯隊区司令部により現役兵証書を作成、役場を経由して本人に交付します。証書の一部は切り取りができるようになっており、署名捺印して受け取りの証明とします。郵便振り込みで用紙の一部が切り離されて渡されるのと同様です。現役兵証書には入営すべき部隊や入営期日が記載されていますが用紙の色の指定はありません。充員召集令状あるいは臨時召集令状には「淡紅色」と指定があり「赤紙」の語源となりましたが、平時には充員(臨時)召集令状による召集は多くなかったはずで、いかに戦時中の大量動員が印象に残ったかがうかがわれます。

 現役兵の入営はその年12月、もしくは翌年1月で配属部隊により少し異なります。遠隔地の場合は猶予が設けられています(入営のための鉄道運賃は無料)。入営時点で少なくとも満21歳(一部は22歳)になっている計算です。現役期間は2年ですが、内地に勤務する歩兵は1年半で帰休となり復員できる例でした。現役兵に欠員が生じた場合は第一補充兵役もしくは第二補充兵役から補充することになっていましたが、1対1で補充したわけではなく、ある程度欠員が増えた段階でまとめて補充が行なわれました。

おわりに

 まとめると毎年11月いっぱい届出を受けつけ、冬の間に名簿の作成と徴集人数を確定、春から初夏にかけて各地で徴兵検査を行ない、夏から秋にかけて抽籤と徴集のための証書の交付を実施、新兵が入営するころには翌年の徴兵検査の届出が締め切られている、というサイクルで年間スケジュールが回されていることがわかります。こうした「季節感」が頭に入っていれば戦記ものなどを読む場合でも解像度が上がることでしょう。

 さて自分がこうした内容をまとめようと思ったのは、X 上でなんだか徴兵制に対して解像度の低い投稿が散見されたことと、もうひとつ海軍兵の入団時期に関する疑問がわいたことが理由でした。海軍での新兵の入団時期は年に2回、年末ごろの「前期」と初夏の「後期」にわかれ、どちらかが徴兵でどちらかが志願兵だというのはなんとなく覚えていたのですが、ではどちらが徴兵でどちらが志願兵だというのが不明だったのです。もっと正確に言うと過去調べたはずなのですが覚えていなかった(覚えていられなかった)のでした。
 この年齢になると単発の知識は身につかないので、徴兵検査の一連の流れとして把握すれば忘れないだろうと考えた結果が本記事です。当初の目的に限っていえばきわめてコスパの悪い話ですが、それで身につけられる知識はたぶんに応用が利くので充分元はとれたと考えることにしておきましょう。

 あ、書き忘れてました。年末の「前期入団」が徴兵で、初夏の「後期入団」が志願兵になりますね。言わずもがなですが。

 さて次回は「やんごとない人々」に何か書きたいと思っているのですが話がなかなかまとまらず、逃避的に海軍ネタをやるかもしれません。
 ではもし機会がありましたらまた次回お会いしましょう。

(カバー画像は徴兵検査の風景・Wikipediaより)

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