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哲ちゃんとベルマーク
今回はちょっと普段とはおもむきを変えて、エッセイというか昔語りを少々。
哲ちゃんとベルマーク
大学時代からの友人に哲ちゃんがいた。附属高校から大学に進んだ僕らは、高校でも同窓生だったはずなのだがそのころはあまり接点がなく、ただ親しい友人のそのまた友人という立ち位置で存在は知っていたという程度の関係だった。実際に一緒に遊ぶようになったのは大学に入ってからでそれも友人を含むグループで遊びにいくときに声がかかるくらいで、マンツーマンでどこかに出かけるなんてことは皆無だった。
当時は家庭用ビデオデッキが普及しはじめたころで、家にビデオデッキがあれば充分ブルジョワだった。そんな時代に哲ちゃんは自分の部屋に自分専用のビデオデッキを持っており、僕らはときどき連れだって哲ちゃんの自宅に遊びにいってビデオを見せてもらったものだった。もっぱらテレビ放送を録画したスターウォーズなどの映画を鑑賞した。哲ちゃんの部屋の本棚にはビデオテープがずらりと並んでいた。
そのころ、生のビデオテープを買うとラベル用のシールが付いてきた。タイトルを書きこむ背表紙用のブランクシールのほかに、ジャンル分けを意図したと思われるマークのシールが附属していた。ロケットのマークはSF映画、戦車のマークは戦争映画、ハートマークは恋愛映画に想定されていたのだろう。
そのマークの中に、どういうわけだかベルマークのシールが含まれていた。正式なベルマークではなくあのマークだけのシールで点数にはならない。ビデオテープのメーカーが何を意図してそんなマークのシールを含めたのかはわからない。単にそれ以上思いつかなくてなんとなくスペースを埋めたのかもしれない。しかし哲ちゃんの本棚を眺めると、ベルマークのシールが貼られたテープが何本もみつかる。不思議なことにそうしたテープの背表紙の「スターウォーズ」だの「バルジ大作戦」だのといったタイトルが書かれるはずの部分はきまって空白のままだった。
もうおわかりだろう。ベルマークは「ある種の」ビデオソフトを録画したテープに貼られていたのだ。僕らは、哲ちゃんの家族が留守にしていて家に哲ちゃんと僕らしかいないときだけそのビデオを見ることができた。こうして僕らのあいだで「ベルマーク」はそうした映像作品を示す隠語になった。
哲ちゃんは人気者だった。学生時代から自宅のシビックを乗り回し、身なりもよくいかにもお坊ちゃま然としていたが、間抜けなところもあり嫌みはなかった。房総に遊びにいったときには財布を入れたセカンドバッグを車の屋根に乗せたまま走り出してしまい、10km 以上いってからようやく気づいて半泣きで引き返したりしたこともあった。哲ちゃんが運転するシビックに後ろからついていくと、いきなり反対車線に飛び出してそのまま走り続け、あとで「なんであんなことしたの」と聞くと「片側二車線じゃなかったの?」と素で驚いていたこともあった。春先に山梨に出かけたときには折り返しでバックするときに運転席のドアを開け放ったらそのドアが道路脇のブロック塀にひっかかり、気づかないままアクセルを踏み続けた結果ドアが閉まらなくなってしまった。仕方なく近くのスタンドでガムテープを使ってぐるぐる巻きにして無理矢理ドアを固定してもらった結果片側の窓が全開になりその状態で山梨から松戸まで戻ってきた。この最大の被害者は後部座席に座っていた自分で3月初めのまだ寒い時期に何時間も吹きさらしにされ、その後何年たってもそのときのことを蒸し返して半分本気、半分笑い話で文句を言ったものだった。
大学を卒業して就職すると(哲ちゃんは必修の単位を落として1年留年した)合う頻度は下がったし、自宅にいりびたってビデオ鑑賞にふけるようなこともなくなった。それでもときどきは(やはりグループで)出かけることがあった。10年もたつと流石にだいぶ疎遠になり、共通の友人を通じて様子が伝わるくらいになる。結婚式には呼ばれたと思うがよく覚えていない。呼ばれなかったような気もする。
そのさらに数年後、3ヵ月ほど出張で日本を離れていた僕が帰国してまもないある日、友人からメールが届いた。「哲ちゃんが亡くなりました」
はじめは間違いかと思った。そのころ、友人の家族の葬儀に出席することがたびたびあったのでまさか本人だとは思いも寄らなかった。半信半疑で「え、本人の話?」と返したら「本人です」とのこと。
葬儀には在京の友人が集まった。地方の友人たちはさすがに揃わなかったが、それでもわざわざ上京してきた者もいた。花に囲まれ、棺に横たわった哲ちゃんは少し痩せたようにも見えたが「10秒で似顔絵が描ける」といわれた面影はそのままだった。
霊柩車を送り出して、久しぶりに集まった僕らはファミレスに場を移した。メールを送ってくれた友人がぽつぽつと語り出す。はじめ腰が痛かったので整体に通ったがよくならなかったこと、いつまでも治らないので病院で診察してもらったら癌だったとわかり手遅れだったこと、同情されたくないから周囲には知らせないでほしいといわれていたこと、退職を余儀なくされたこと、いつものように明るくふるまっていた哲ちゃんがぽつりと「俺、死ぬんだよな」とつぶやいたこと。30代半ばで奥さんと幼い娘を遺して逝く哲ちゃんはどんな気持ちだったろう。
一周忌に友人有志で墓参りに出かけたら、哲ちゃんの家族と鉢合わせをした。奥さんは就職し哲ちゃんの実家の援助もあってやっていけてると聞いて少し安心した。
いま、僕のパソコンには「ベルマーク」というタイトルのフォルダがある。