
人間ってもうそんなに必要ないのでは?
今回はSF的思考です。
テーマは遺伝子淘汰と人口調整です。
昨今少子化問題と非婚化が問題視されていますが、
この問題は日本だけでなく、先進国ほど同じような状況になっています。
ですが、年収が高い世帯は婚姻率が未だに高く、
アッパー層だけで考えると、おそらく出生率はそんなに悪いものではないでしょう。
低年収ほど非婚化率は高く、これは即ち、
「子孫を残すためのハードルが上がっている」ということが
言えると思います。
また、結婚というものに対して、ルッキズムや相手への高望み意識と
個人主義の台頭による、結婚や子育てへの義務感から開放された影響も大きいでしょう。
「貧乏人は無理して結婚しなくて良い」と言われている状況なわけで、
「じゃあ、いいや。値踏みされるのも不愉快だし」という感じで、
諦めと、他責感情、男女の対立構造が強くなってきたことを
感じる人も多いと思います。
古来より、恋愛で結婚する人の割合は3割程度と言われているようで、
残りはお見合いということです。
要はお見合いという強制マッチングシステムがなければ
7割の人は結婚に積極的でないわけで、社会システムの継続や、
子孫を残すという生物学的命題を果たせない状態が
遥か昔から続いていたわけですね。
また、皆婚社会だったのは戦後からバブル崩壊までの70年程度であり、
昔は長男以外は家を継げず、長女の婿に行くことで
結婚できる人もいましたが、婿にも行けずに結婚もできない事が
往々にしてあったようです。
その代わり家を継いだ長男はたくさん子どもを作り、
その家の遺伝子を確実に残す役割を課せられたわけです。
要は結婚というものは社会存続のためのシステムであり、
子どもを作ることは遺伝子を残す義務だったわけです。
そして結婚というものは昔から、厳選されたものだけに許された事であり、
ここ70年の皆婚状態が異常だっただけというのが
客観的に見て妥当な見解だと思います。
何故戦後に皆婚時代が到来したかを考えてみましたが、
まず、二次大戦によって男性の若い世代の人口が減ったことが
あると思います。
第一次ベビーブームは国家単位の戦後のダメージを回復させるための
現象だったと推察します。
昔であれば家を存続を絶やすほどの苛烈な兵役や、徴兵制度は無く、
兵士になる人は次男以下だったりが多かったようです。
第二次世界大戦は国家存亡の危機だったために、総動員がかけられました。
社会システム維持以前に国家がなくなったら駄目なので長男でも動員されるケースがあったようです。
ただ、家を継ぐ者が戦死すると「家」という最小単位の社会維持が危機にさらされるため、無秩序ではなく税金を多く納めている家の長男や役人など
免除対象はあったらしいです。
この現象も劣等遺伝子は淘汰し、優秀な遺伝子は存続させるという
淘汰システムのバランサーが機能していたと言えるでしょう。
で、この「家」制度によるバランスシステムすら一過性のものであり、
家制度ができる前、奈良時代以前は結婚制度なんてものはなく、
食料を多く調達できる男性の無秩序な性交によるシステムが機能していたとのこと。
「家」制度と結婚制度は人間の理性による社会存続システムですが、
家制度以前は動物的本能によるシステムと僕は考えています。
で、何故本能によるシステムから、理性による機能に切り替わったかを
考えるに、多分「そのほうが優秀な遺伝子を選別でき、生存率を上げることができた」からなんだと思います。
人間は理性を獲得し、社会全体をイメージし、計算してより生存率を上げてきた生き物です。
進化の目的は「生き残って遺伝子を受け継ぐ」事であり、人間は理性を獲得しても、その至上命題は相変わらず遺伝子の確実なリレーだったわけです。
そうやって、生存率を上げてきた結果、科学技術が進歩して、
今度は遺伝子を伝える難易度が下がってきました。
戦後のベビーブームと医療の進歩が重なって、子どもの死亡率が下がり、
団塊世代が爆発的に増えました。
一時的に「多産少死」状態が生み出されたわけです。
そして、戦後の朝鮮戦争特需による好景気によって日本の許容人口も増したため、第二次ベビーブームが起きました。
許容人口とはその国家が維持し得る限界人口のことであり、
その数値は技術の発展とともに伸び続けていました。
バブルはその数値に異常なブーストを掛けた現象だったと思います。
今の日本の人口は1億2500万人ぐらいですが、本来であれば
国土の広さ的に適正人口はもっと少ないのだと思います。
過去へ遡るほど、社会は多産多死社会でありました。
今でもアフリカなど途上国と言われる国は多産多死社会です。
科学技術の発展により、子どもの死亡率が下がったので、
必然的に少産少死社会が成り立つはずなのですが、団塊世代は
偶然が重なって多産少死社会になりました。
この現象は歴史的には異常な状態であり、そんな異常な状態が僕ら現代世代の当たり前になっていたというのが実情なのです。
バブル崩壊が起きて日本の許容人口が大きく減少したので、
そのバランスを取るために発動した現象が、今の「少子化、非婚化」であると考えます。
バブルの許容人口の増大は異常だったのです。
本文の最初に「個人主義の台頭と男女の対立、結婚の義務感からの開放」を原因と書きましたが、それは個人レベルでの非婚化の原因であって、
社会全体のバランス現象としても、異常な状態を是正する事が起きていると
僕は考えています。
日本はバブルによる異常ですが、他国も過剰な人口増加を
ストップさせるように少子化が進んでいます。
人口の多い国は軒並み少子化であり、インドがかろうじて
出生率2をキープしている状態ですが2を切るのは時間の問題だと思います。
暴走した人口増加を地球そのものが是正にかかっていると思います。
大げさな話に思うかもしれませんが、地球には意思があると僕は思っています。
人口減少は、個人主義の台頭や、結婚システムの破綻など、
本人の自由意志で決定した「個の選択の総和」に見えますが、
実際のところ、地球側の意思によってそういう方向性へ流れるように誘導されているマクロな現象のように僕には感じられるのです。
大げさな話でしょうか?
地球は食物連鎖という壮大かつ繊細なシステムを作り上げた存在です。
我々人類の意思を操れるという根拠になりえるレベルの現象だと思います。
科学技術の発展、少産少死社会の実現、労働の自動化、これらによって
人口の伸び方と、地球の許容人口は増大を続けてきたわけですが、
地球がそろそろストップを掛けてきたというのが実際のところではないでしょうか?
文明発達の恩恵で死亡率の低下と長寿化によって、人間はそこまで人口が多くなくても、種を存続させるに十分な可能性を確保できたと言えます。
故にそんなに人類は多くなくても良い状態が作られたとも言えます。
すると、とにかく量を作った状態から、今度はその中から質の良いものを
厳選する過程に入ります。
我々人類は今まさにその過程にいるのではないでしょうか?
これからの人類社会は少ない人間と、その生命を確実に維持するための
機械(AI)によって構成されるようになるのではないかと思います。
地球の質量は太陽系が形成されてからほぼ変わっていない状況のはずです。
だとするならば、地球上において人類の数が多すぎることは
その他の生物の存在を減らすことになります。
地球は人類だけで成り立っているわけではありません。
自然界はピラミッド構造で基本的に成り立っています。
捕食されにくい生き物は数も少ないし、捕食されやすい生き物は
無数の卵を産卵します。
無論人類はピラミッドの頂点にいます。
なので食物連鎖の維持のためにも、弱肉強食の遺伝子闘争による無秩序な
生命体バランスの崩壊を防ぐプログラムが発動していると思われます。
遺伝子闘争の結果人類は現状「絶対王者」の地位を確保しました。
ピラミッドの最先端にいるわけです。
王者はそんなに数は必要ないのです。
人類の存続に、生身の人間はそんなに必要なくなったのでしょう。
間引きする必要が出てきたわけです。
AIは人類のシンギュラリティ(特異点)の一つだと思います。
火を操るようになった、ネジを作った、工場を作った、コンピューターを作った等と同等かそれ以上の影響力を持った革新であると思います。
その理由を次回は書こうかと思います。
長くなってきたので一度切ります。
後記・・・妄想が捗って、書いていて楽しかったです。
このような馬鹿と天才は紙一重みたいな文章を読んでくれる奇特な方が
居れば、それはそれでありがたく嬉しいことなのですが、
僕はこの文章を書いただけでも、かなり満足感を得ています。
僕の妄想は世界の本質を捉えているのかそうでないのか?
それを確認するために生きてるようなものです。
SF妄想と哲学は僕の生きがいです。
まだまだ書けそうです。
それでは、