見出し画像

新約七夕物語 -新棚機津女-

 たとえば小さな白い点に少女の指先が触れようとする時のような。それが星だとか心だとか誰かの指先であるとか。そんな光輝く一瞬の瞬きで消えてしまいそうな儚くも力強いものを恋とよぶ。

ある日の事である。
 真っ黒い空に少女は両手を伸ばした。宙に浮かんだ羽衣は白い輝きを繊維に織り込み。ふわりと綺羅星は広く散開していく。天の羽衣とはこのように美しい。

その場所。
 天上と一般に考えられている場所だ。天上というのはやはり雲より高い場所にある。そこにはガラス細工のような小さな砂糖菓子が無数、散らばるように浮いていて。暮らす人々はそれを時折口に運ぶのだ。空が真っ暗である事はそれだけ地上から離れた場所であるということを示す。

 星々のおかげでほんのり明るく。たまに彗星が流れるとぱぁっと花火が上がった時と同じような明るさとなる。このように空間の成分構成が異なって豊かであるので争いも少なく。天上に住む人達は自然と朗らかな性格で非常に暮らしやすい場所なのである。

 そういったとても高い場所で少女はついつい羽衣を落としてしまう。地球の西暦2000年くらいだとストールに装飾品と形式似ている。

 少女の羽衣はそこからずっとずっと地上に向かってひらひらと落下していく。落下していった先の木の枝に羽衣はしっとりとひっかかる。

 地上には青年がいた。彼は牛飼いという仕事をしていて。例えば山里を放牧していて子牛が迷子にならないようにと見張りながら。山里を登ったり降りたり。場合によっては身体を使って牛たちの集団を導くことで賃金を得て生活しているのである。

 羽衣を見つけた時に青年は、ここまでにも美しい羽衣ならばと考えた。身に着けている女性を想像する。これほどまでに美しい羽衣だ。あちこち探しているに違いないとも思った。彼はとても美しい心を持った青年で素朴に生きていた。だから例えこれほど高価な品であろうとも。迷うことなく返そうとする。
彼はとても純朴に満ちた青年であった。

そして少女もまた美しい心を持っていた。
 なにせ天上といった人を疑う必要のない場所だ。それならばこのような心の在り方を世間知らずと一蹴するにはまだ早い。そういうものなのだ。環境に依って彼女もまた純然とした綺麗な女性であった。

 時間が経過してすぐ。天からふわりふわりと少女は降りてきた。青年は少女を見た。その時のこと。彼は同じ人間なのかと疑った。なにせ今までに出会ったどんな生き物と比べても彼女は美しい。一言で言うと一目惚れであった。

 火の鳥がクェ!っと一鳴きした。神々の世界で生きる、時間を超越した神獣。その鳥のひと鳴きで。響いた音の程にて恋に落ちたのだ。

 なに。簡単なことである。彼の心が美しいから彼女は惹かれた。出会った理由なんてどんなことも些細なきっかけにすぎない。

 しかし結果は周知のとおりとなってしまった。どの文献にもあるように一年に一度しか会ってはいけない決まりとなってしまった。

 時は何度も何度も流れる。流れ続け何度火の鳥がクェっと鳴いたかなんて誰にも数えることができないほどの時間が経過した。

 そのうちに飽きてしまった火の鳥は干渉を始めた。最初はただ二人を外の世界から観察していただけだったが、いい加減何千年。神話の動物だって気が焦る。

「いけないよお二人さん。それはだめだ。悲しくなる。」

「なぜ。私はこれでも十分譲歩をしてもらった。私はこれ以上を望まない。」

そう語る少女は歳をとらない。そういう決まりになっていた。

「僕は彼女と同意見だ。だってこれは認められた時間だから。これ以下になるのが怖い。」

「はぁ…」と。

 なにもわかっていないと火の鳥は嘆く。違う。そうじゃないのだ。何故望まない。何故抗わない。いいのかそれで。良しとしたのか。本心なのか。互い本心を確かめたのか。それは本当の心の事か。どうしてわかる。なぜそう思ったのだ。これらたくさんの気持ちが一息で何千年分と吐き出したかった。

「…いつか二人が。誰の許しも必要とせず心を交わす時間を。かつての人間のように当然に与えられますように。
だってあんなに素晴らしい心の持ち主なのだ。計算や計略が得意だとはとても思えない。うん。ならばひと肌。誰かが脱いでやらねばなるまいな。」
それからというもの。火の鳥はかつて自分がみた人間の営みの美しい部分を語りに語った。しかも二人一緒にいる時ではない。

 二人別々の時にだけそうしたのだ。なんと狡猾な手段かというのは許してあげて欲しい。長い時間で一年に一度の少しの時間しか過ごせない。

 恋する二人をそんなことにしたままでよいわけがないのだ。だから青年と少女に変わって大人がちょっと余計な事をした。そういう構図なのである。

 そうして二人の心に小さな欲が芽生え。小さな芽は年を重ねてだんだんと大樹にならんとする勢いだ。
青年の反抗はこの時が初めてかもしれない。

「僕は皆の前で自分の持つなにもかもを差し出す。それと自分の恋心の真剣さを天秤で測ろうと思う。」

「…そんなこと。いいえ。それでどうするの。」

「ありがとう。それで。僕は自分のほうに天秤が傾いた時に宣言しようと思う。僕たちはここから逃げてしまうよってね。それだけ重い決心なのだと。」

「何を差し出そうというの?」

「すべてだ。僕の心臓も足も目も耳も口も。考えることや。存在そのもの。」

「…でも。…ええ。迷いは枷になる。…そうね。私にできることがあったら。なんでも言って。」

「うん。タイミングを見て逃げよう。その時に手を取ってくれたらいい。それだけでいい。」

「はい。その時は一緒にどこまでもついていきます。」

 火の鳥はまたクェと鳴いた。それはとてもとても美しい鳴き声であったと言われている。

 その次の年。たくさんの瞳が天秤を見つめる中。青年の賭けは勝利を収める。

何もかもを天秤に乗せてしまったのだ。
彼には何もない。

 どこにでもいてどこにもいない猫のような存在となった。その青年は皆の見えない手を差し出し。少女はしっかりとつかんで離さず。そうしてこの銀河を自由にどこまでも駆けていったそうだ。

これが日本の七夕、古い言い方で「たなばたつめ」。
この物語の新しく更新された言い伝えである。
今では時間を旅して今でも時には古いフィルム映画に写りこんでデートをしているとか。そうして二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。

いいなと思ったら応援しよう!