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人生の振り返り | 新卒入社 10ヶ月で辞める #6
初めての就職先は、日用雑貨(主に洗剤など)の卸問屋で家から車で15分で通勤できるほど近かった。
社長からの熱心な誘いを受けた会社。(就職バブル期)
職種は営業で、スーパーや薬局、ディスカウントストアへ各メーカーから仕入れた、日用雑貨や洗剤を販売していた。
仕事内容は、毎日営業車で30件以上の担当先を週に1,2回訪問するルートセールスとお店の棚管理(商品が減っていたらバックヤードから補充し、品薄分や減った分を受注する御用聞き営業。
また、チラシに載せる特売品を店長や代表者と交渉し、注文をもらっていた。色々勉強になることもあったが、特に毎日刺激もない退屈な仕事だと思い10ヶ月で退職した。(何しろ社会経験が浅いもんで、考え方も実に浅かった)朝は薬局まわって、夜は遅くまで開いているスーパーやコンビニで一生懸命ボロい営業車で動き回っていました。
その職場での思い出は、入社早々に、ご夫婦で営んでおられた薬局(激安販売店)をいきなり担当させられた。商品の価格について洗剤メーカーからクレームが来るくらい激安で、問題多き店であった。しかし小さいお店ながらも売上金額は大きかった。
但し、わがままな顧客で取引開始当時から、毎朝こちらから電話をかけて受注し、昼過ぎまでに営業マンが商品を営業車に積んで持っていくスタイル(セールス配送)が普通となっていた。(他の客先は、受注後、翌日の自社トラック便で配送課が運ぶのが通常)
新米の私は毎朝一番に、その薬局に電話をかけ、注文を請けて一人倉庫でピッキング作業をしてライトバンに積む作業をもくもくとやっていた。
ある日、常務が私のそばに来て「何してるん?そんなん配送にまかしたらいいやん」と言ってきた。怒られているのかと思いきやニコニコしていた。(やれるもんならやってみたらという感じだった)
私は、「ほんまにいいんですか?」と答え、薬局の社長には、その日の内にセールス配送からトラック便に変更しますと伝え、1週間で切り替えが完了した。(その顧客との歴史を知らない若手の新米だからこそできたのか)
うちの社長も驚いていたようだ。
毎日自分だけ出発が遅れるおかげで帰宅するのも遅くなったので、セールス配送が嫌だったので、即座に行動できたと思う。
申し入れ翌日から、薬局のおとなしい社長もお怒りの電話、常に大阪のおばはんで口うるさい奥様と交互にクレームの電話があったようだ。
私は1日1回、お客さんに、顔を出して「持って行きたいのは、やまやまなんですが、会社の命令でなんともできずに、すんません!特価品がんばりま〜す」と笑顔でしのぎ、1週間でほぼ通常配送にすることができた。
それから、なにか感じたことがあれば、先輩などに意見していたら、先輩からは「お前、文句ばっか言うなや〜」と愚痴られた。「文句ちゃいますわ、意見ですわ」と言い返していた。(もちろん相手、場所、タイミングをわきまえていますのでお互い笑っておしまい)
やめるとき、やめる理由を聞かれた。上司や先輩には仕事内容について自分に合ってないこと、親からも3年我慢せよと言われたがその3年が無駄と言い返すなど、引き止められたがまったく、そのつもりもなかった。
社長との面談時は、何がいややったのかと質問されたとき、「会社の新人用のライトバンにクーラーがついていないことです」と言った。すると社長は「新人の鍛錬やから我慢してもらっている」と言う回答だった。
この時代(平成初期)クーラーがついている車は当然と思ったので、やめる気持ちは固まった。
実際、真夏に運転して汗びっしょりの状態でクーラーがギンギンにかかったスーパーへ納品、商品陳列、受注、価格打ち合わせ後、また高温の車内。これを5,6軒繰り返す。いくら丈夫な体でも変なしんどさの毎日だった。(毎日熱中症)
やめる前に、常務の家に招待され、送別会を開いてもらったことには感動した良き思い出。
実は気質は、HSS型HSPなんですよ。。。