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人生の振り返り | 転職 2社目 9年続くが天から地への序章 #7
2月に卸問屋を辞めて、しばらくはいいとこないかな〜と実家でのんきな就職活動をしていた。転職雑誌を買って眺めていた。ある日、小さな広告で【小さな会社で、デカい仕事!】というフレーズが気になり応募してみた。(要は大手商社とメーカーが50%ずつ出資の関連会社だった)専門商社で、ある原料を大手や中小の製造会社に卸す仕事だ。(ルートセールス)
履歴書を送って面接に来てきてくれということになり、支店長と面接後、担当課長と面接した。今、思うと完全なバリバリ昭和熱血仕事人で、面接でも怖そうな上司でいややなと思った。
課長:「うちでやっていけるな!」
私:「はい!」
課長:「ほんまか!」
私:「はい!」で面接終了だった。
5月に入社、その後、総務部長の話を聞くと50人応募のうち、8人と面接。面接開始一人目の面接で、私の大きな声の「こんにちは!宜しくお願いします」と帰り際の「ありがとうございました!」あいさつの声の大きさの印象で決まったらしい。年齢は23歳だった。
バブルまっさかりで、まさにに飲むのが仕事であった(笑)上司の課長からは、朝遅刻は絶対にするな、昼喫茶店で寝とけ!とバブリーなときは言われていた。
その熱血課長は、酒は飲めずだが、ゴルフ・ボーリング・麻雀は一流で、平日夜は飲まずにお客と酒場、土日はゴルフと言う具合に昭和営業マンを貫いていた。
仕事もできるので、仕入先・販売先との立ち回り方をずいぶん教わったし、いままでの人生の中でもとてもお世話になった上司である。
上司の命を受け、高級ラウンジなど一見さん4万円の店でプライベートは5千円で飲めるよう(接待営業などオフィシャルになると通常料金を払う約束)ママとの交渉により北新地で飛び込み営業をして5千円で飲める先を3軒作ったのは仕事以外での輝かしい成績だ。
バブリーな時代、会社の立地条件(北新地の飲み屋街の中に事務所があった)、会社属性がよかったため、若くても高額なカードローンが作れた。金融知識のない私は銀行マンに乗せられ、カードを持ってしまったことから借金の道がはじまった。
お客様との飲み代は、会社が負担してくれるが、会社仲間でいく飲み屋代は、当然自分持ち。(なんと1軒だけは、近所の居酒屋で会社で焼酎をボトルキープしてくれていたが)仕入先の大手メーカーや大手商社の若手と付き合うと、もちろん割り勘で高級店へ(給与額が違うのに背伸びしていた)。
たとえお客と飲んでも帰りは、終電に間に合わない。バブリーで運転手がふんぞりかえったタクシーか、もしくはカプセルホテルでお泊り。毎日が飲み会だった。みんな身だしなみは、きちんとしていたので、スーツはバッタ屋で調達(高級ブランド品が破格値)できても安月給には負担。そんなときに魔法の銀行カードを使ってしまった。カードローンだ。
妻とは、前の会社の同期の事務員の紹介ですぐに付き合い始めた。3年後に結婚した。結婚時に狭小戸建てをバブリー価格で購入した。(25年ローン、金利は今では考えられない7.5%)新婚旅行は、アメリカのディズニーワールドへ。家の頭金と新婚旅行と結婚費用で2人の貯金は使い果たした。(親の援助もかなりしてもらった)会社にも家のローンの一部を借りたので一挙に貧乏になった。
それでも実際は、そういう感覚には陥らず毎日生活できていたが、限度枠まで使うには、時間はかからなかった。(しかしきちんと返していると限度額もあれよあれよと増えていくのだ)
仕事でも色々な立場の人と接する事ができ、出張など、いい経験が出来た。会社の役割は、取引窓口という役割で、与信管理、スムーズな業務を行なう会社という位置づけで、決まった価格から、親会社からもらえる口銭は3〜5%という利益だった。(最終利益率は、1%台と思う)自分自身いまだったら、仕入れ価格にオンできる商品を販売すればいいだけと思うが、その時は、何も考えることができなかった。
熱血上司は部長になっていたが、毎日リストラする人のことを考えたら胃が痛いと私に弱音を吐いたりしていたが、実際多くの年上の先輩方のリストラを見ていると、あと20年もすると自分もああなる可能性があるかもと思い9年間勤めた先を去ることに決めたのだった。
当時、まだ幼い息子と娘がいたし、給与も増えなく借金もあるのでもっとやるだけもらえる仕事が良さげに思ってしまったのだった。振り返ると当時はバブル、結婚、子どもはまさに天!だった。
そして借金は地となっていく。