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好きと得意

仕事の話をするとよく出てくるテーマ。

「好きを仕事にするか?得意を仕事にするか?」

まあ、世の中のたいていの人は「好きか得意かなんて分からないけれど、やらないと生きていけない」ぐらいに思っていると思う。

私もそんな1人。

こういう問いは考えたい時に好きか得意かを私はスパっと切り分けられない。

周りの人と比べて「あの人よりは得意かな???、いや分からない」そんなことの連続。

先日、こんなお菓子を食べた。

激辛マニアというお菓子だ。コンビニで見つけて買ってみた。辛いお菓子はそれなりに手を出しているが、メジャーではない(と思っている)辛そうなお菓子には手を出したことはなかった。

見た目はかっぱえびせんに似たようなもので、匂いはそうでもない。私は比較的辛いものが好きなのだが、辛すぎてヤバかった。1袋食べるのに3日かかった。

これを食べた時に「辛いのは好きだけれども、得意ではないな」と感じて、このテーマで書くことにした。

辛いことで思い出したのは、ペヤングの辛いシリーズも似たようなものかもしれないと。だが、これらも食べたことがない。コロナ前?くらいにYouTuberがこぞって食べていたような気がするが、食べる気が起きなかった。この時点で、無意識に「無理だ」と思っていたことから得意ではないことが分かりそうだが、中々自認は難しいと今思った。

世間から見て辛いことが得意かどうか?

それを知る方法があるとすれば、お店で食べるカレーの辛さはいくつにするか?というのも1つの手ではないだろうか。まあ、「あの店は辛口でも辛くない」という例もあるだろう。なので、複数店舗でどれくらいが無理かを体感すると、自分の舌がどうか相対的にどの位置にあるのか分かるのではないだろうか。

仕事の話に戻るつもりはなかったのだけれども、思いついたことがあるので簡単に書いておく。

カレーの話で考えると、複数店舗で辛さを味わう必要があるということだったが、それは仕事では無理に等しい。

自分が得意かどうかは、自分が所属する会社の中での基準でしかない。また別の会社も同様で、「自分の会社基準で言えば、あなたは得意(苦手)」としか判断できない。かと言って、会社を転々とするのも難しい。

こう考えれば、仕事で自分が何が得意か?を自認するのは難しいのではないだろうか。

唐突だが、ここまで書いて「好き」は自分の中の基準に基づいた相対的な尺度で、「得意」は他人との基準の中の尺度だと思った。

「好き」についてはあまり書いてこなかったが、1人でやることに関しては自分の意志の影響が強いように思う。一部ではあるが、他人が関わることにも「得意」への影響もあると思う

私はゲームも好きだが、対人ゲームは苦手だ。勝ち負けでムシャクシャするし、他人にもイライラする。よくよく考えれば、コンピューターに負けてもイラつきはするが人ほどではない。なぜだろうか?と思ってしまったが、ここでは一旦思索を止める。とにかく、1人でやるゲームは好きだが、(人間との)対人ゲームは苦手だ。

他人が関わる得意はスポーツが分かりやすい。例えば、自分が誰よりも強い状況にあるとしよう。そんな状況では優越感も相まって好きになることもあるのではないだろうか。よくある話だと思う。しかし、自分よりも強い人が現れて勝てなくなる。そんな状況が続けば、好きでなくなる。そうなったのなら、周りよりも上に立つことが好きなんだろうと私は思う。

しかし、負けていてもそれなりにやっていて楽しい。私はそう思えることこそがそのスポーツが好きと言えるのではないかと思う(もちろん、異論は認める)。

負けていてもそれなりに楽しい、の中には他のことだと誰かに勝てないけれども、これなら少しは誰かに勝てる、という心理から来る部分もあると思う。結局は他人より上に立つことが好きなのかもしれないが、「好き」は自分の中の相対的な尺度になっているのではないだろうか。
(色々なことに対して、相手との相対的な比較を行った結果を自分の中で比較しているという方が正しいか。しかし、最終的な判断は自分の中でしている。はたまた、自分の判断の根拠が他人との比較なので、違うと言われたらそうかもしれない…)



あれこれ書いたが、自分には分からないに落ち着く。

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