「人間じゃなくていいじゃん」がドンドン実用化されるなかでどう生きるのか?
「人間じゃなくていいじゃん」が次々実用化されていくなかでどう生きるのか?
生きづらい人のコロニーは、その現代における「ノア箱舟」ならぬ「笹船」なのかなと思います。
激流のなかに浮かぶ「笹船」。
今、世界で起きていること、それは、次のような激流ではないでしょうか。
デジタル技術のモーレツな進化
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コンテンツの異常供給
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結論だけ欲しがる世界の到来
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僕たちは、どうすればいいのか?
あえて「AI」ではなくて「デジタル技術」と書いたのは、AIを使うまでもなく、人間の出番がなくなってきているからです。
たとえば、先日私が発表した、生きづらい人へ贈る曲「ないとめあ」も、その一つです。
いろいろな楽器が使われていますが、人間は誰も弾いていません。
私がアレンジした内容を、すべてコンピューターが再現してくれています。
そこにAIが加わって、歌はAIの「さとうささらさん」に歌ってもらいました。
おかげさまでご好評をいただき、Podcastでピックアップされたり、それをきっかけに他のラジオ番組でも取り上げられていました。
まさに「人間じゃなくていいじゃん」が、じっさいに起こっていることを、しみじみ実感したできごとでした。
こうなると「シンギュラリティ」なんて待つまでもない。
既存の技術だけでも、どんどんどんどんコンテンツが量産できる状態になっています。
それによって現在、コンテンツの異常供給が今起きてますよね。
もうこんなに消化できないっていう数のコンテンツが、バァ~っと僕らの前に並べられてます。
しかも、サブスクで見放題とかいって。
その結果として到来したのが「結論だけ欲しがる社会」です。
一つひとつのコンテンツなんか、じっくり最初から見たり聞いたりしてるヒマない。
たった5分のコンテンツだって、最初から最後までなんてもう見てらんないし聞いてらんない。
「結論だけよこせ」と、飛ばして視聴していく。
YouTubeは、パソコンだと、動画のどのあたりをみんなが見てるかグラフで確認できますよね。
だいたい、要約して「結論」を言ってるところだけみんな見てる。
こうなると、人間が手塩にかけて一つずつていねいにコンテンツをつくっていく必要なんて、もはや疑わしいものです。
ますます「人間じゃなくていいじゃん」が、今後加速していくのだろうなと感じています。
今はコンテンツ制作のお話ししかしていませんけど、今後は、これが社会のあらゆる業務のなかで起きてきますよね。
だって、デジタル技術だけでもこんな状況なのに、ここにAIが上乗せされてさらに進化していくわけですから。
そうなったら、どうなるのか。
もう、僕たちは流されてくしかないですよね。
予測不能でしょう。
人間が考えるスピードで進化していた今までだって、予測不能でした。
ここにAIが考えるスピードが加わったら、もう完全にお手上げではないでしょうか。
というか、どういう方向に進んでいくかなんて、誰もわかんない状態にすでになっちゃったわけじゃないすか。
AIがつくったグラビア美女づくりも話題になっていますし、chatGPTにガチで相談している人も出てきています。
思いのほか早く、「本物」と「偽物」の境界線も曖昧になってきています。
私は、技術的なシンギュラリティや、経済的なシンギュラリティより早く、「関係性のシンギュラリティ」が来ると思っています。
つまり、人が人を信頼するのと同じ感覚で、人がAIを信頼する。
つまり、人とAIが、のび太とドラえもんのような関係になるほうが、技術や経済のシンギュラリティより早く来るのではないでしょうか。
そういう状態になってきたら、もう「本物」と「偽物」どころか、意識があるとかないとか、物なのか生命なのかっていう区別も、だいぶ曖昧になってきますよね。
そうなったらどうするなんて答え、誰ももっていないのに、どんどん進んじゃってるんですよね。
そうしたら、もう流されていくしかないなぁと思います。
ただ、その流されていくなかで、ちょっとでもその激流のなかで顔を出して、一瞬でもまわりを見渡すための「笹船」。
それをもつことができれば、こっちの方にいったんサオをさしてみようとか、そっちの流れがやばいからあっちの方に入ってこうって、ほんの少しでもできるかもしれない。
生きづらい人にとって、そのための「笹船」が、今つくっているコロニーなのかなと感じています。
「笹船」でも、ないよりはぜんぜんマシだと思いますから。(というかそう思いたい)
今日もあなたに、「心地よい人生」が訪れますように。
生きづらさ専門カウンセラー
脱世間起業塾Aidc塾長
しのぶかつのり
※コミュニケーションが苦手なため、コメントへの返信は控えております。すみませんです。
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