注意欠陥・多動性障害(ADHD)児と家族との相互作用

興味深い記事があったのでそれぞれの項目について振り返ってみました。

引用元 http://www.n-ushicli.com/mentalsupport/developmental-disorder.html


1)親の注意→子どもが従わない→命令・指示的対応の増加→体罰

これはありましたね。体罰という認識はなかったし、親は子供を叩くものだと思っていました。基本的に母からです。父は厳格な人ではあったけど手を上げるのは絶対反対のひとでした。決して味方をしてくれたわけではなく、スタンスとしては怒る母と一緒だけど、私を叩く母を、「それはやってはいけない!」と止めていました。ただ父には仕事があるのでいつも家にいるわけではないし…。ヴァイオリンのレッスン中に弓でバシバシ叩かれることが多かったですね。あと普通に素手で叩くとかもの投げられたりとか。けっこう未だにトラウマです。

2)否定的態度の増加、肯定的態度の減少

否定的態度・肯定的態度というのが具体的に何を指すのかちょっと不明ですが… 親→子 への態度と解釈してみます。ありました。

生まれてすぐは第一子だったこともあり、なんでもかんでも肯定されていたように思います。実際当時のホームビデオなどを見てもまじで何しても可愛い可愛いかしこい!のオンパレードです。実際IQが異様に高い子供だったので、親の期待値も半端なかったように思います。

否定的態度が増えるようになったのは弟が生まれたあとだと思います。4~5歳くらいから母に怒られることが増えたなという実感がありました。弟はおそらくですが定形発達ですし、とても頭もよく、品行方正です。私が何度やってもできないことも卒なくこなしてしまいます。弟の出来がよかったために、私の悪い部分が際立って映ったのでしょう。その後はとどまるところを知らず、高校卒業まで常に怒られるづける毎日でした。

3)養育に対する自信の欠乏、ストレスの増大
これは母にわからないことですが…まああったと思います。あったからこそ出来のいい弟を見て養育に対する自信を取り戻し、悪いのは私だと思ったのでしょう。

かと言って母の愛が全くなかったわけじゃないんですよ。私のために服を作ってくれたり、一緒にお菓子を作ったり、勉強を教えてくれたり。決して悪い人ではありませんでした。

自分の子供を愛しているのに認めてあげられない、体罰を与えてしまうことに対して母なりの葛藤があったと思います。

4)父親や祖父母が母親を責め、母親が孤立

これはうちはなかったと思うんだけどなあ…どうだろう?まあ明らかにおかしいのは私だったので特になかったな〜。

5)母親の抑うつ、アルコール量の増加


母は完全下戸なので、これはなかったですね。加えてタバコも吸わないので特に何かに依存して逃げるようなことはなかったです。結果的にそれが母の早死につながったのかも…と思っています。

6)夫婦間の葛藤、別居、離婚

葛藤はあったかもしれないけど、別に離婚とかなかった。そんなに大喧嘩を見るときもなかったし。二人とも本当はそんなに怒り狂うタイプじゃないんですよね。私がおかしすぎて怒ってただけで…

7)発達障害児の衝動性、問題行動による兄弟間のトラブル

これも特に。私が一方的に劣等感を持っていただけで…。

8)親の否定的対応→児の自己評価の低下→攻撃的行動

攻撃的行動は特にありませんでした。家庭内暴力的なやつだよね?ないない。私はどっちかといえば内にこもるタイプでした…

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9)学校での問題行動の増加、反抗挑戦性障害、行為障害を助長


10)児の病態→家族のストレス↑→児の症状の悪化

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