2020国際女性デーによせて:ソーシャルワーカーとして (2019/10/3)
2020年3月8日国際女性デーによせて、Facebookより転載します。
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<2019年10月3日 ソーシャルワーカーとして>
私たちソーシャルワーカーは、【名もなき市民】の、なかでも特に声をあげにくい苦しさをもった人たちの代弁と権利擁護を通して、みんなが生きやすい世の中を作っていくことが務めです。
おかしいと思うこと、傷ついたことに声を挙げることは、例え相手が誰であっても、すべての人に認められた権利です。
私たちソーシャルワーカーは、その権利と、それを保証される社会を守ること、あるいは作ることこそが使命です。
とはいえ、社会とは本当に複雑に絡み合って、倫理葛藤に悩むことは多い毎日です。誰かの権利を守ることが、誰かの権利を侵害してはいないか?その人のなかにあるひとつの権利を守ることが、その人の別の権利を抑圧していることにならないか?
絶対的な正解はなくて、少しでもモアベターな方法を問い、求めて試行錯誤しています。
けれど、明らかに、ソーシャルワーカーが自らの実践の正当性の主張そのものために、あるいは自分自身の名誉や権威の誇示のために、誰かの権利や、それを守るための社会活動を抑圧してはなりません。
また、方法論や社会のあり方についての議論には、異を唱える相手の価値観と権利を尊重しながら行われるべきで、それらを蔑視するならそれは議論ではなく、単なる罵倒になってしまいます。
著名な同世代のソーシャルワーカーさんが引き起こした一連の件は、本当に残念に、そして苦しく想っています。多くの方に、ソーシャルワーカーへの失望と、傷つき、恐怖を与えてしまったことを申し訳なく想っています。失望と不安感から、援助希求を諦めることのないよう、願っています。
彼のような方と比較すれば、【名もなく】【中途半端】で【交替可能】な活動しかできていないかもしれません。(個人的には、ソーシャルワーカーが人間やその営みにたいして【交替可能】などと断じることには理解しがたい部分があります)
ただ、今回の件に沈黙するのは、あまりにソーシャルワーカーとして不誠実ではないかと思い、あらためて自戒し、ソーシャルワーカー同志研鑽していきたいという誓いの意味を込めて、全体公開の上、ここに残しておきます。
私が間違っていると感じたら、いつでもご指摘ください。それこそが【社会的な連帯】には不可欠だと想っています。
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これは2019年10月に著名な同世代のソーシャルワーカー男性が目を覆いたくなるような女性蔑視の言動をtwitterで展開した際に、看過することができずFacebookに載せた私なりの声明です。(出来事の詳細はこちら)
結局、彼は1か月と少しで、これらの暴力的な言動の原因になった(とご本人が主張なさっている)「酒とのつきあいかたを考える」といった一連の発言をすべて削除し、特になんらかの説明もなく、SNSで議員や著名人と飲酒している画像を頻繁にUPするようになりました。また、彼らの周囲の人間はそれを、上記の出来事を匂わせながら、冗談めかして語り、笑ってみているといった様子でした。苦言を呈した方はフレンドを外されたようです。
この一件で未来永劫、彼を責め続けろとは全く思いません。彼を全否定するつもりもありません。(正直、人格を疑いますが)
ただ、女性蔑視の言動で、人(これは女性だけではないのです)を傷つけてしまったことは、この日本社会において、男性社会において、こんなにも軽く扱われてしまうのもので、たやすく忘れ去られてしまうものだと愕然とするのです。なぜならこれは”彼”だけでなく、それを囲む人たちもふくめた"現象"なのですから。
こういった状態そのものが、この社会の孕む暴力性なのだと思います。
そして私は、私たちはそれに声をあげ、抗い続けます。これからも。
2020年3月8日国際女性デーによせて