【多様性を考える①】学校教育と国際理解
公立中学校の巡回指導をしていた頃、東京オリンピックを控えていたこともあり、どこの学校でも「国際理解教育」が盛んでした。
ある日、訪問学校の「学校だより」にたまたま目を通すと、国際理解や多様性に関する管理職からのコメントがありました。
そこには、かつて中学国語の教科書にも掲載されていた、
本多勝一氏の「アラビアの遊牧民」
からの引用が使われていました。
その概要はこんな感じです。
私はこれを読み、大変共感しました。そしてこれを国際理解教育を論じるためにこの文章を引用した管理職のセンスにも嬉しくなりました。
なんて思いながら読み進めていきました。
そして最後に、管理職はこう締めくくっていました。
『えっ?そっちー?」
「いやいや、それって本多勝一氏の言いたかったことと違うでしょー!!!
「しかもそんな結論を先生が言っちゃったら、国際理解はおろか、生徒たちに差別的な価値観を助長しているようなもんだよ。』
以前レオ・レオーニの「さかなはさかな」の例を出したことがありましたが、
結局私たちは、全く違う価値観や世界を、実際に自分の目で見て体験しないと、正しく想像することがむずかしいんだよな〜
と痛感させられた出来事でした。
さかなは「魚の視点」しか持っていないので、魚の視点でしか外の世界を想像できない。
日本の先生も日本でしか生活したことのない人が多いので、その点では”さかな”と一緒です。日本の価値観のレンズを通して他国を評価しがちになってしまうので、正確でない判断をしてしまうことがあります。
人種に関わらず、人ってみんなそういうところがありますが、特に日本のように、”歴史的に異民族との接触による悲惨な体験の少ない、ある意味では“お人好しの、珍しい民族”(本多 1966)である日本人にとっては、今のグローバルの視点を持つことは他の民族よりも難しいと言えるでしょう。
日本こそ、世界の最後の秘境かもしれないね(中尾佐助 栽培植物学教授)。