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新卒で気付いたADHD特性

本日は私、あき自身の話をさせてください。
前回までは発達障害やグレーゾーンの一般論でしたが、今回は具体的に私の事例からADHDグレーゾーンの一例を理解していただけたらと思います。

私はグレーゾーンだったからこそ、就職するまで親にも理解されず、むしろ「めんどくさがりや」「逆境に弱い」「ものを大切にしない(片付けないから)」などと言われてきました。
「ダメな人間だな~私」と自然に刷り込まれていたように思います。

私自身は「なんか他の人と違いそう」とは思いつつも、まさかそれが障害に繋がるものだとは思ってはいませんでした。
自分はだらしのない人間、変わった考え方をする人間なんだと、普通の人のふりをしながらどこか理解されない孤独を抱えて生きてきました。

だからこそ、少しでも早く自分の特性を知り、相手に正しく伝える勇気をもつことは、自己肯定感をあげたり、円滑に周りに苦手をカバーしてもらう上でとても大切です。
そして苦手を分かって初めて自分の得意に変換できるんです。

どうか、自分を責めないで欲しいし、だからといって何かの言い訳に障害を使うこともしてほしくありません。
ありのままの、事実ベースで理解し、周りに伝えられるようになってください。


あきの特性、耳という弱点

私、あきは前述したとおり、就職するまではADHDという言葉すら知りませんでした。
大学生の時にやっていた飲食店のアルバイトでも困り事はあったのですが、接客は得意だったのでむしろ褒められる比率の方が多かったので特段気にしていませんでした。
しかし、就職して営業職についたのですが、ここでは散々でした。
明らかに他の人より特定部分で仕事ができない。
あまりに何度も同じことで怒られ、ミスを繰り返し、そこで初めて

「自分は何か欠陥のある人間なのではないか」

と思うようになり、当時普及しだしたスマホで通勤電車の中で調べ始めました。そして自分に当てはまると辿り着いたのがADHDでした。

そこから病院を調べ検査を行いグレーゾーンが発覚します。
そして、私の凸凹が何かも発覚します。

目で判断する正確性が人より高いのに対し、耳での記憶能力が低い

これでした。
勿論、これだけで語れるわけではないのですが思い返せば思い当たることが多々ありました。

就職先での困難と見つけた得意分野

①ミスの連続だった新卒営業職

耳での記憶、いわゆるワーキングメモリーが低いことが分かってからは、思い当たることがたくさんありました。
また、ADHDではないものの、その特性を持つグレーゾーンの人がいることを知ってからは、益々思い当たることがありました。

まず、新卒入社した営業職で一番困ったのは、
営業提案したお客様の要望を正確に上司に伝えられないというものでした。
これは、端的にいうと、提案中のお客様の話や要望を覚えてられないんですよね。

メモを取るのも苦手なので、聞き取れたところだけメモしたり、聞いて覚えている部分だけを上司に報告するので、その「記憶が抜けている部分」を聞かれると答えられない。

かといって「忘れました」とも言えないので想像で話したり、本気で勘違いした記憶のまま上司に報告したりもしていました。
そして、上司が同行したり、2度目の提案を行いにいった段階で、私の想像でしかなかったことや、盛大な勘違いが発覚しあきれられていました…

また、事務手続きも非常に苦手でした。
いつも契約書のどこかしらに不備がありました。記入漏れ、必要書類のもらい忘れ、お渡し忘れ、必要事項のお伝え漏れ等々…
とにかく何かしら忘れる(笑)

1年間でいくつもの契約を行いましたが、なんの不備もなくスムーズにできた契約は本当に数件あるかないかだったと思います。

当然、毎日のように注意されるし、何度気を付けてもミスをする。
ミスしないように毎日神経を張り巡らせて重たいプレッシャーを感じながら業務をする。それでもミスをする。
実際には怒られることよりも、この神経を常に使わないといけない状態により心が壊れたように思います。

1年経つ頃には、営業職という仕事自体の大変さもあり、だんだん笑わなくなり、泣くことが増え、最終的に退職しました。

実は、半年くらいでもうだいぶ心が折れていたのですが、親に相談しても話は親身になって聞いてくれましたが「3年は続けろ」理論を最終的には持ち出されることの繰り返しでした。
私の機能不全家族や親との関係の問題は、また別の記事にしますが、親は古い考えというか固定観念、一般常識を振りかざすタイプ&過干渉だったので、辞めるまでに1年かかりました。

最後は外回りをサボりスタバでコーヒーを飲んだら味が感じられなくなり、その場で泣きながら母親に電話しました。

「もうコーヒーの味もしない。本当に辞めたい。」と伝えました。

母も毎朝暗い顔で起きてくる私の表情の変化に気づいていたらしく、さすがにその場の電話で「もう辞めていいよ。」と言ってくれました。
スタバで泣いてるんだもんね、今でもあの店舗と座った席は覚えています(笑)


そして私は晴れて転職をするのですが、次の就職先も相変わらず怒られる日々となります。
2つの仕事をしてみて、出来ないことが浮き彫りになる日々なので、この2つ目の仕事をしたあたりから「死にたい」と考えるようになりました。
仕事が出来ないので、社会に役に立てない人間のように思えたんですね。

ただ、幸いこの2つ目の仕事は私の得意なことも多かったので、なんとか苦しい新人時代(また1年くらいだったでしょうか)を耐えきったことで得意が伸びだしたので、なんとか2年間続けることができました。

そして、ここで気付いた「得意」が今現在の私の仕事に繋がっており、今はADHDによるストレスは殆どなく仕事をしております。
この2つ目の仕事は死にたくなりながらも、1年間耐えて良かったと思っています。

では、今の前向きに仕事ができる私に繋がる、2つ目の仕事について詳しくお伝えしますね。

②転職先でも続く叱責と花開いた才能


新卒入社した営業職を晴れて辞め、私は転職します。
まだこの時はADHDの特性を生かそうなんて発想はもちろんなく、特別やりたい仕事があったわけでもなく、安易にもこんな判断をしてしまいます。

「前職では事務手続きが苦手だったから、これをちゃんと仕事にして苦手を克服しよう!」

自分がグレーゾーンだと知っていながらも頑張れば対処できると思っていたんですね(笑)

とはいえ、完全な事務職でもなかったのです。正確には管理部門となります。
法律に携わる仕事でした。法律や自社の基準、ガイドラインと照らし合わせながら、とある商材、社内の制作物に問題がないものか確認する仕事でした。

恐らく事務職だったら出来なかったのですが、この管理部門職というのが性に合っていたのです。

皆様、私の得意が何か覚えておりますか?
目で正確性を判断することです。

読んだ法律やガイドラインの内容と商材が適合するかを確認する。
商材が文章であれば、その中から問題のある内容を見つけ出す。
これは見事に私の得意を活かすことができました。

早々とこの才能は見いだされるものの、同時に同じくらい叱責もありました。

OJT中の先輩の指示が覚えられないのです…
やったこともない仕事でしたので、たくさんのことを教えていただきました。
そのことは勿論感謝なのですが、ちゃんとしたマニュアルもない職場だったので、殆どのことを先輩が口頭で教えてくれて、これをメモを取って覚えるというものでした。

営業職での困難が呼び起されます。
メモが取れない。話を覚えてられない。

何度も同じことを質問しては、

「それこの前メモ取ってたよ。ノート見てみて。」
「この間も話したけどさー」
「前も教えたんだけど」
「ねえ、これこの前も伝えたはずだよ」

そんなことを質問する度に枕詞のように付け加えられるので
また自分は仕事が出来ないんだと思う日々でした。

今思えば、たかが2つしか仕事経験していないんだから何も死にたくならなくても良かったよ、と思うのですが、社会人2年目の私にとっては
「2つも仕事して、どっちも出来ないなら本当にできる仕事なんてないや」
だったのです。

自分で判断して裁量性で仕事が出来るようになるまでは、都度先輩に聞いたり覚えられなかったりで、1年近くは死にたくなりながら仕事をしていました。

トイレに駆け込んで泣いたり、自分があまりにもダメな人間すぎて誰とも会えない、会いたくない、恥ずかしい、みたいな感情にもなっていたので、当日に友達との約束をドタキャンしたこともありました。

幸い、前職よりも仕事内容自体はきつくなかったこと、営業職と違い定時にちゃんと帰れたからオンオフの切り替えができたこと、(営業職は終わってからも上司への報告や急なお客様対応などありました)社風が好きだったことなどもあり、なんとか続けていくことができました。

1年近く経つ頃には自分で判断して進められるようになっていたので、そこからはかなりラクでした。
相変わらず先輩との相性は悪く、時々発生する相談や先輩との連携では嫌な思いが続いたので、結婚を機に退職しました。

ただ、このころにはADHDが、というよりはシンプルに人間関係が嫌で辞めるといったもになっていました。
ここで私はちゃんとこの仕事が自分に向いていると分かって次も同じような仕事をしたら良かったのに、まだまだバカでした。
今度はこんな考えに至ります。

「やっぱり内勤だと殆ど人ともしゃべらないし先輩との関係が全てになっちゃうし…だいぶデスクワーク的なこともできるようになったからもう一度営業とかお客さんと関わることやろう!」

この時の私は気付いていなかったのです。
得意意識を持っていた接客こそが、私の苦手発動のトリガーだったなんて。
営業成績や人当たり、他人からの第一印象だけはとても良かった私。
誰が見ても営業、接客が得意な人間でした。
自分自身もそう思っていたのですから。

しかし、3つ目の就職先でやっと気づくのです。
私はお客様を相手にする仕事は絶対にしてはいけなかったのです。

この話は次の記事でご紹介しますね。


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