誰かにほんの少し優しく慰めてもらえたら、肩から力が抜けるんだ。子供を習い事へ送った帰り道で堰を切ったように涙が溢れて来て、家に着くまでに平常心を取り戻さなくちゃと深呼吸する。あと2分しかない。ただ安心して泣け、甘えられる場所が欲しい。24時間どんと構えた肝っ玉母さんなんか出来ない
そうやって日々募る小さな不満を申し述べるのは客観視したいため。小さな幸せに変えられていた頃もあったよな、と思い出したいため。吐き出してみて、自分でこんなにも選択する機会を持っていると再認識出来たのは良かった。わざわざ不幸ぶって生きる私の二次利得は慰めだろうか。誰に慰められたいのか
不満はほとんどが些細なこと。自分でもわざわざ言うほどのことでもないと思ってしまうほど。シンクにマグカップ溜まる問題も、現行犯なら洗ってくださーいと言えば済むが、朝はすぐ片付ける必要があるため、夫が起きてくる頃にはシンクは元通り。私の不機嫌の理由など分かるはずない。伝わらない。
見つけては不満を溜めている自分に嫌気が差す。仕事の日はまだマシだ。私にもオンラインの仕事とそうでない仕事がある。ただ、家事や育児の負担に関して、毎度ながら圧倒的に私が担っているのであり、圧倒的に夫が多く稼ぐ。私の稼ぎは夫の税金くらいだ。そんな自分が惨めになる。
お互い様とはいえど、居るだけでけっこう気を使う。その上、家の中が乱れる。ちょいちょい部屋から出て来てはお茶を飲み、マグカップはその都度シンクにたまる。ベランダでリフレッシュしては、網戸の位置が中途半端にズレたまま、虫が入りやすい状況となっているのが、気になる。注意しても3日坊主。