相手のためを思ってという言葉
私は「君のためを思って」という言葉が何故か好きになれない。
きっと、「あなたのためを思って言っている」と言われたことのある人は多くいると思う。
私は親や、友人から言われたことがある。
この職業になった方がいいだとか、理系より文系の方があなたは向いているだとか…
それらは本当に私のためになるのだろうか?といつも疑問に思う。
私のことを思ってくれているのは嬉しいのだが、それがどれだけ私のためになるかを考えた上の発言なのだろうか?と思ってしまう。
犯罪に手を染めているだとか、詐欺にあっているだとか、そのような事を注意するのは当然だ、でも価値観によることをとやかく言うのは良い事なのだろうか。
1ミリも興味のない分野でも名の知れた大学に入る方がいいのか、得意科目が文系だから文系を選択するのか、それらは当然価値観によるものだ。自分の歩みたい人生を踏まえて、自分で決める事であると思う。
恋愛も、とりあえず付き合ってみてから考える人や、しっかりと相手のことを知ってから慎重にお付き合いする人、恋人は作らない人というように、人によって恋愛観も様々である。
それらを理解しようとしないで、相手の価値観にとやかく言うのは相手にとって良い事とは到底思えない。
価値観とは難しいものだ。
表面上接しているだけでは、相手がどのような価値観を持っているのか理解することは非常に難しい。ある程度は理解出来ても、完全に理解するということは不可能に近いだろう。
しかし、ここで大切なのは「理解しようとする姿勢」である。
あくまで姿勢が大事なのだ。そのような姿勢をとっていれば、相手の価値観を決めつけることはなくなるし、より理解を深めることが出来る。
相手の考えや決断を否定する前に、今一度考えて欲しい。
相手がどのような根拠をもってその決断をしたのか、どのような理由、考えがあるのかを理解しようとして欲しい。
意外にも、言葉一つで人生は変わるものだ。
自分はこう思うから相手もそうだと思う前に、相手の価値観を通して考えてみると、相手にとっても良いものになると考えている。
大切な人だからこそ、相手のことを思ってと言ってしまうのだと思う。しかし、大切な人だからこそ、相手に伝える言葉は慎重に選んで欲しい。
何気ない言葉1つでも、相手の行動、人生を変える力を多く秘めている。
相手のためを思う前に、相手を思う、相手を知る
これが大切なのだと思う。
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