散文51
祝日が近づくにつれ、街の中は活気めいていた。
隣の席に座る若い男女は、レストランの予約が取れるか、取れないかで揉めている。自分の長い髪に触れる。指ざわりが油じみていて指先を何度か擦り合わせた。空腹が差し込むように孤独を煽るので、何か食べなければと思うが、ひとりで何かを食べるのが怖くて、じっとしていた。孤独になると、熱が無くなっていくのを痛切に感じる。寒い、冷える、の類ではない、もっとより本質的な寂しさが腹に刺さるのだ。そうするとやけに頭が冴えてきて、あることないことを考えたりするのが悪い。いつまで、そういうことが下手なのか、と笑えるうちはいいけれど、あと数年もすれば、それも笑えなくなる。その時に、本当に孤独というものが目に見えて自分に害を与えているなら、いや、そもそも孤独が存在するなら、わたしはきっと、東京など向いていない。憧れだけで、職業を語り、夢を語り、仕事を語り、軽薄にも東京という街の煌びやかな側面にしか、視点を当てられなかったことのつけが今回ってきている。
レストランでも、窓の外のビル群でも、同じようなことを考えては忘れたりしている人はいて、そういった人たちの希望がゆっくりと、死んでいく過程で、何人かはここからいなくなったり、病気になったりするから、わたしがまともなのも今のうちだけ。
指先の油が、嫌な感じで拡がっていく。明日、仕事を辞めたりして、嫌なこと全部やらなかったら、どうなるのかな。わたしの肉親は悲しむだろうか。一度、休息してみるのがいい、いちばん大事なのはあなただから、と医者が言った。そうだね。と思ったけれど、自分の弱い部分を聞かれてもないのに、人に発表するやり方で、人間同士の折衝に関する部分全部、遠慮してもらおうとするやり方が憎い。わたしのできないやり方で、生きやすくなる人がいるのも。
祝日は、訪れることはなかった。
誰かのために生きたことなどもないし、子どもなやり方をする大人が嫌いで、わたしは街の中で途方にくれた。やはり、空腹が差し込んで、孤独を煽る。帰り道、自分なんかより遥かに、幸福な人しか住んでいないマンションの光が、綺麗だと思った。
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