散文50
雑務全て、関係者の内面を削り取っていく作業だと気づいたときに、幼少の頃打ち込んだフットボールが、身体性の限り相手を脚で削り取っていく作業であることを思い出した。もちろん、削りとる作業は自分ではない誰かに削らせてもいいが、削らせた人間の脚は、同じようにしてその分だけ削り取られる。
相手の11番の脚は、こちらの7番と同じ形だけ失っている。他部署の同僚が、同部署の同僚と同じ形で、内面を摩耗している。
失脚すること、失脚させること。それを繰り返して、週間の中の休日にその修復をする。休日は作業や雑務全てをぼんやりと思い浮かべながら忘れていく。
大人というのは、どこまでも他者の人生を生きるのが得意だから、雑務も抱えて週間を繰り返す。本当は、暖かい森の中でささやかな、ミツバチの群れに誘われながら、いい人だけを集めてハンカチ落しなどしたいのに。大人がそんなことをしないのは、自分を生きるものなら、人に殺されるから。それを知ったとき、またわたしの内面を誰かが削り取っていった。
昔、道徳の成績がよかったっていうのは、わたしが大人の言ってほしいことを知っているから。大人が感動しそうな正解を想像して口にすればいいだけだから、安易な嘘に乗じて手を挙げる。本当のところはどう思ったっていい。ただ、人の気持ちを考えることが正であるならば、実は世界に何をしてもいいんだろうか。きっとそうじゃない。
グッド・バイ、グッドモーニング、グッドアフタヌーンなどを繰り返して、良識的なキャラを演じる人間を、ぶち壊したくなるときは決まって自分が悪かったでしょ。いつまでも、いつまでも、そのままでいいよ。お願い。
わたしの内面を削り取った誰かが、右手を見せる。右腕を挙げて、合図をする。わたしもそれに応えて、右手を挙げる。はーい、はーい、そう呟く二人の右腕の先に、手のひらはなかった。
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