『もいちどあなたにあいたいな』
新井素子さんの作品。
和は、不妊治療の末に産んだ子どもが亡くなってしまった。
和の兄である大介と大介の娘の澪湖は、和のことを心配する。
陽湖の和に対する屈折した思いが、とても印象的だった。
木塚くんと澪湖のカフェでの会話の場面がとても印象に残っている。
新井素子さんがこの小説を書くのに、8年かかったという話に驚いた。
印象に残っている文
やまとばちゃんが、「恭一さん」って言うたびに、何かがあたしの背中を走る。ああ、やまとばちゃん、今、ほんっとに感情が揺れているんだろうな、なんか、ぎりぎりの瀬戸際にいるんだろうなって。
「この子の養育を、私がやりましょう」世界の始めから、どんな神話でもどんな寓話でもどんなお話でも。無条件に言われる、こんな、とても都合のよい台詞には、必ず、何らかの、マイナス要因があります。「何でも三つの願いを叶えてあげる」っていう誘惑は、必ず、成就した願いより酷い結果をもたらします。
きっと、また作動するのよね、大介さんと澪湖の間にある、“世界で一番和さんが大切だもんね”ネットワークが。
「ああ、そりゃ、萩尾望都。まんがで、地下室のキノコは、萩尾望都。小説だったら、ブラッドベリ」
人間の精神というものは、どんなに深い森よりも深い森だ。どれほどの深海よりも深い海だ。
もしも、男が病気になった時に、番いである女性が、それをここまでほったらかしたら、男達は盛大に文句を言いそうな気がするんだけれど、不思議なことに、何故か、女性が病気になった時は、完璧にほったらかし。
けど、卑怯階級には。あきらかに、女を下にみて、女を差別している癖に、この、卑怯階級には、自分が上の階級だからしなきゃいけない義務というものは、ないのである。いや、それどころか、すべての義務、それを免責されているような気分でいるのが、卑怯階級。