「グラデーション交友録」 2024/11/9の日記
腰が痛いので手短に行く。今日は待ちに待った日だ。16時から異色のメンバーで飲み会が始まる。わたす、かのじょ、主婦さん、主婦さん、副店長だ。正確に言えば、元バイト先の同僚である。もし私、鏖ちゃんのプライベートを知る人間は、このブログの内容をオフレコにしていただきたい。面倒くさい事案が発生するからだ。ここにこの内容を書くことも自身で多少憚られたのだが、ここは自由帳だ。忘れないうちに殴り書きしておこう。
異色である。自分は主に朝バイトに入る人間だったため、同じく朝バイトに入っていた彼女とは接点は多かった。だが、昼間のわずかな時間で被る主婦さんやもう1人、朝に入る主婦さんも被ることは少なく、ポジションも別の配置だったため会話はあんまりなかった。そして新しく社員さんとして配属されてきた副店長に関しては、被った期間が1ヶ月と短い間柄だったため、まさか一緒に飲み会に行くことになるとは思いもしなかったけど何かの縁だろう。本来ならもう一人、またここに別の社員さんがいたはずだったが、体調不良だったため、泣く泣くパスだ。
お酒自体好きではない、飲み会もあんまり得意じゃない。お酒が入れば本音が出るみたいな考え方も嫌いだ。逆にそんな本音を押し殺して生きているのかと疑わざるを得ないからだ。お酒で酔った経験がない。お酒が得意ではないため、すぐに気持ち悪くなってしまう。梅酒のロック1っ杯でトイレに立て籠りに行ったこともある。下戸すぎるだろ。ここまでの要素すべてがアンチシナジーだろもう。でもそんな中、今回の飲み会は過去1楽しかったかもしれない。行くこと自体が珍しいから、そう確信して言えるのだ。謎の年上の安心感というものがある。もう無理にテンションを合わせるような、浮き足立つような感覚を皆諦めている。新進気鋭のカフェのような爪先立ちではなく、老舗の喫茶店に感じる達観めいたものが確かにあったはずだ。そんな大人たちの仲間入りを果たせた気がした喜びなのであろうか。多少はその雰囲気に触れられることの優越感はあったかもしれない。でもそれだけじゃないはずだ。歳の差にグラデーションがありすぎるのになぜだろう。元々はバイト先で同じだった同僚たちであり、オペレーションをマニュアルに則って遂行していただけだが、店を回しきるという共通課題は等しく携えていた。それなのかなあ。みんな同じ店舗で働いていたはずなのに、仕事というものに対する姿勢は違うし、でも同じくらいうっすら不満に思っていた部分というのは皆、似たような見解を述べていた。
大学で友達といえるような存在はできなかった。それは個人的に、等しく学校に学びを得に行く場とは言えど、大学に通うことと、小中高学校に通うことは、違っていた気がするからだ。学びを得に行く延長線と言うように考えていた私は、ここをどうしても地続きのものと考えていたが、どうも違うらしい気がしてくる。小中高学校は同じクラスで、年1で変わるクラスメイトたちと問答無用でその1年を過ごす。人によってはこのシステム自体が苦痛だったようだが、私個人としては、このブラックボックス感が居心地が良かった。趣味も専門も目的意識も違う人間たちが一塊にされ、強制的に1年間は同じクラスでさまざまな行事を過ごしていくこと。高校生以降の場で、このブラックボックスが創出される瞬間は、ライフステージにおいてあるのかな。大学では、学部、学科、専攻ごとに大まかに分類され、クラスのような箱庭は用意されず、単位を取ることもコネを除けば自力に頼るしかなかった。完全個人プレーである。自分がそうだっただけかも知れないなと、書いているうちに感じてきた。そんなことないのかな。サークルも5個くらい掛け持ちして社交(笑)は頑張ったつもりだが、本当に気の合う友達というのは、地元と比べて少なかったと思う。というかやはりいなかったよ。
運が良かっただけかも知れないが、大学で友達がいなかったことを悲観してしまうほど、周りに恵まれていないわけではない。きっと仲良くなれる人間のキャパを超えたんだなと、冷静になってから思う。ブラックボックスの中で過ごして得られた人間関係はかけがえのないものかなと思う。趣味や専攻や目的意識が似た人間と仲良くなることは容易だろう。大学で探すより下手な話、ネットで検索かける方が簡単だった気もする。そんな中、それを全くお互い持ち合わせていないのに、「なんか気が合うな」と意気投合できる可能性が小中高時代の方が高かった気がする。それと同じで、今回の「バイト先」という箱庭のブラックボックスの中で意気投合できたのだ。失っちゃあいけないなと思う。というよりは、またふとした瞬間に勝手に合流するだろう。趣味も専門も目的意識も違う、加えて歳のも離れている中でこうやって集まれたことに価値を感じた。グラデーションがある方が、同じ色に染まらないで混じり合える。単色にならない。多様な考え方で意見の殴り合いができる。そんな感じだ。