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方広寺鐘銘事件はホントは京都大仏鐘銘事件
前回の記事でも触れた、京都東山の方広寺。
元々は違う寺で、京都大仏の跡地というお話を。
さて、方広寺とは?
方広寺(ほうこうじ)は、京都市東山区にある天台宗の寺院。山号はなし。本尊は盧舎那仏。通称は「大仏」・「大仏殿」・「大仏殿方広寺」。方広寺鐘銘事件(京都大仏鐘銘事件)の引き金となった「国家安康」の梵鐘を有することで知られる。
歴史好き、大河ドラマ好きには基礎知識な「方広寺鐘銘事件」
あの有名な鐘、私は大阪にあるものだと思ってました。すいません。京都でした。
大坂冬の陣の原因の一つとなった事件。
それが方広寺鐘銘事件
鐘銘の中の「国家安康」「君臣豊楽」の二句がヤリ玉にあげられ、安の一字で家康を分断した上、豊臣を君として楽しむと読める、そんなふうに徳川家康が難詰しました
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鐘には、わざわざ白ハイライトがしてあって、「国家安康」「君臣豊楽」が今でも誰でも見ることができます。
これが案外に小さい。明らかに徳川家康の言いがかりだよねーと思いがち。一説には事前に文案の承認してたとか。ヤスひっどいわー。
でも実地に方広寺をたずねると、鐘銘だけじゃないですね、これは。
今は石垣しかない東山大仏堂、石垣がやりすぎ。
立派すぎる石垣に衝撃を受けました。これはヤスも豊臣家をいま潰しておかんとヤバいなと思ってそう。
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今は京都大仏は残ってないですが、とんでもないもので、奈良より大きかった幻の「京都大仏」
豊臣秀吉の作った大仏の大きさは約19メートル。そのため大仏殿は、桁行が約90メートル、梁行が約55メートルの巨大さで奈良の東大寺よりデカい。
ところが慶長伏見地震で倒壊したのでした。
その後、太閤さんもお亡くなり、石田三成も敗れ、京都大仏はユメマボロシのごとく。
「方広寺鐘銘事件」この時天下分け目の関ヶ原も10年近く前で、征夷大将軍も息子の秀忠に譲り、磐石。
家康もさすがに60代後半で大御所様は、わざわざ豊臣家を滅ぼす気も無かったはず。
ところが、京都大仏ですよ!
KYな所業ですよ。日本一の大大仏を帝や公家の居る京都に豊臣秀頼と淀殿はやっちまいました。
慶長伏見地震で一度は壊れた京都大仏の再建を。
大人しく家康が居なくなるのを待つべきでした。
京都大仏は現存してませんが、豊国神社は明治天皇により再建されました。
豊国神社は、京都市東山区にある神社。旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁の別表神社。神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を祀る。豊臣家滅亡とともに徳川家康の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の勅命により再興された。
往時を偲ぶには十分な雰囲気です
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あちこちに明治時代の豪快な雰囲気を感じます。
五七桐提灯もどデカい。
さらに太閤さんの像まで。
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豊臣秀吉亡き後、織田信長の姪である淀殿や子の秀頼、そして豊臣家臣たち。
天下人家康を認めて、一大名として控えめに過ごすということが出来なかった豊臣家という印象を受けましたね
前回記事 建仁寺はこちら