私たちは無意識にレッテルに縛られている
やりたいことがない、好きなことが見つからない。
そんな声をよく耳にする。
私自身もかつてそうだったから、その気持ちは痛いほどわかる。
やりたいことがない。
それは言葉通り本当に「ない」わけではなく、多くの人が、心の奥底に本当はやりたいことを秘めている。
しかし、大人になるにつれて何らかの世間的な基準・常識に照らし自分自身に勝手につけたレッテルに縛られ、わからなくなっているのだ。
私の場合は、10代の頃からファッションの世界に惹かれていたにもかかわらず「自分は左脳派人間だからクリエイティブな世界には向かない」と自分に言い聞かせ、蓋をしていた。
こうした「レッテル」による制限は、仕事だけでなく、趣味や新しい挑戦でも同じことが言える。
本当は心の奥でやりたいと思っているのに、自分に貼ったラベルでその気持ちを抑え込んでしまう。
こうした自分自身へささやく言葉が、やりたいことの芽を摘んでしまっている。
人は人にレッテルを貼ることが好きだ。
「この人はこういうタイプ」と決めつけてしまう方が、関わることが簡単だからだ。自分に対しても相手に対しても。
周囲から配布されたこのレッテルを自分自身に貼って、どんどんそのレッテル通りの自分になるように、大人になってしまう。
自分にレッテルを貼り(しかも他人から配布されたそのレッテルは往々にして間違っていることが多い)、そのカテゴリーらしい自分のままであろうとする。
そうやってどんどん心の底から湧いてくる願望に蓋をしながら生きていくことで、社会が求めてくる枠の中の存在に収まっていく。
でも、一度しかない人生を、他人や過去に決めつけられた枠の中で生きることが、本当に自分の望む生き方だろうか。
自分にレッテルを貼るということの意味はつまり、そのカテゴリーに入ることで逸脱した自分の角を丸め、人から違和感を感じられることを避けるという防衛本能だと思っている。
周囲に違和感を感じられること、異質な存在であること、理解不能な相手であると思われることを恐れ、周囲に合わせて角を丸めていく。
だが、その角こそ、自分を自分たらしめるものであり、魅力であり、なんとしても死守すべきだと思っている。
以下の記事にも書いたが、私はそんな誰もが元々持っているはずの「角」を守りもっと自由に人生を謳歌する社会にしたい。
私が経営するアパレルブランドADDIXYは、「もういい大人だから」といったレッテルを剥がし、自分の本音に忠実に生きられる大人を応援したいという思いから生まれた。
年齢や肩書きに縛られず、本当に好きなものを選び、自分の感性に従って生きる。
そうした人生を、ファッションを通じて少しでも後押ししていきたい。