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明日。明るい日とかいてあしたとよぶ。明日はどんな光がみれるのだろう。
苦しかったことや辛かった過去もあって今の自分がいる。そう思える日が来るのだろうか。もしそういう日が来るとしてそれはどういう日なのだろう。そういう日が来るか分からないが、今を生きたいと思う。
自分を"わからない"はいい。でも"見失う"のはすごく怖い。
必要以上に恐れてしまうのは、知らないだけ。 知らないから不安で緊張して、怖くなる。 だからまず知ることからはじめよう。 それでも不安になったら、自分が今までやってきたことを振り返る。 そうしたら、きっと大丈夫。
物語をたのしむのはもちろんなんだけれど、自分の価値観で物語を判断するんじゃなく、物語を読んで自分の価値観を広めたい。そういう読書の仕方をしたい。
私は私であることを引き受けなければならない。 いつ私が私を選んだのか分からないのに。 この事実を怖いと感じるときもあるけれどそれ以上に愛おしいと思うときもある。 そうやって生きている。
左手でペンを握っているからなんだというんだ。ペンを持つ手が左であろうが右であろうが、同じ文字を書く行為に変わりないのに。
強烈な光を放ち瞬く間に過ぎ去っていく幸せとぬるま湯のようにずっと浸かっていたい幸せ。どっちがより幸せなんかじゃなく、きっとどちらもかけがえのない幸せ。
人と比べるのは好きじゃない。でも人と比べることでしかみえてこないこともある。
私はあなたにどう見られているんだろう。
「わかりあう」がよくわからない。 そもそも自分のこともよくしらない。相手のことも私というフィルター越しでしかみられない。それは本当のあなたではないんでしょう?
当たり前という感覚はどこからくるのか。当たり前とそうでないものの境界線ってなんだろう。
書きたいと思ってnoteをひらいてみてもいざまっしろな画面を見ると途端に言葉が出てこなくなる。なんで。