遮断癖
しゃだんへき。
人も情報もシャットアウトしたくなる。
善人ではないが、人が死んだり暗いニュースを見るのは精神的に堪える。関わらないようにしてるのに、悪意をぶつけて攻撃してくる人にも疲弊する。
どうして放って置いてくれないのかと。
すべて締め出したい、精神の安定を保ちたいと一人になりたくなる。
一方で、数少ない気にかけてくれる人や慈悲の心を持つ人に出会うこともある。
先日も嫌がらせを受けている様子を見かねた同僚から手紙をもらった。共感と心配を示す内容だった。とてつもなく救われた。表現が適切かわからないが、舞い上がるほど心が楽になった。
またしばらく会っていない、というより、
こちらの精神状態がいっぱいいっぱいでLINEの返信をしていなかった仲間から、オンラインミーティングの誘いがあった。嬉しかったけど、今まで連絡を遮断していたことに対し、どう謝ればいいかがわからず、未だに返信できずにいる。相手の立場になれば、悲しいことは自明なのに。
職場では絶望感に苛まれ、それを感じないようにするので精一杯で、大して働いてないのに、家に帰ると、どっと疲れる。
自助グループでは救われ、居場所があると感じられる反面、自分と向き合いたくないあまり、足が遠のいてしまった。
人と繋がりたい気持ちの現れか、誰かに連絡するわけでもないのに寝るまでスマホ依存気味だ。業界人となり活躍している同級生やFacebookの投稿を見て憂鬱になるのはやばいサイン。
あんなに辛い思いしてきたのに、こんなに理不尽な状況にいるのに、と思う反面、私の人生どこかで間違えたのかと自問自答に陥る。
無心になるために、ヨガをしたり風呂に浸かればいいのに、こうしてスマホを片手にベッドに寝そべる。
あすは休日だ。
同世代であればキャリアアップの自助努力、となるのだろうけれど、
部屋を整える、栄養をとる、体と心の疲れをとることで今の私は労力を使い果たしてしまう。
でもそろそろ誰かと話したい。会いたい。
人とつながるのが楽しいと思えるようになりたい。
依存症者の大敵は孤独。
人の間で生きていくためには、自分を赦さなければいけないとはこのこと。