つくばから来た新卒男子27歳、 三島の初心覚え書き
「みんなのアドベントカレンダー2021」の12月14日を担当いたします、
黒川真臣です。
ぞのさんに誘っていただき、三島のひとになれた気持ちで感慨深いです。
12月14日は日本最長のつり橋「三島スカイウォーク」の開業日だそうで、次の方にうまく橋渡しできれば幸いです。
自己紹介
私は千葉県の船橋で生まれ、大学進学と共に茨城県のつくばに拠点を移した、生粋のちばらき県民である。筑波大学には大学院も含めて9年通って微生物の研究をしていた。2021年4月より三島にある研究所で受け入れてもらい、晴れて三島市民となった。
未だに四方を山に囲まれた風景を見ると旅行に来たように錯覚し、関東平野がいかに平らだったのかを認識させられる。
人や土地の個性は、他と比較することで気づけるんだと実感した。
三島での生活に慣れすぎてしまう前に、つくばから三島に拠点を移して感じたそれぞれの街のことを書き残しておきたいと思う。
妻のひと言
私と妻の共通の趣味はさんぽだ。もう一つ挙げるならブラタモリを見ること。
三島に来てまだひと月も経たない頃、歩いていると妻が「つくばは科学の街だったけど、三島は歴史の街だね」と言った。本人はそんなこと覚えていないかもしれないが、私は妙に納得してしまったことを覚えている。
科学の街、つくば
科学技術の振興及び東京の過密対策を目的とした国家プロジェクトによって出来上がったのがつくば市である。まさに始まりから科学の街となるべくつくられた街だと言えるだろう(つくば市にはそれ以前から歴史ある地域もあることは補足しておきたい)。
現在ではつくば市人口約23万人のうち2万人、約10%が研究者だと言われる。総務省の報告によると2018年の時点で日本の研究者は約87万人で、全人口が約1.3億人であったことを考えると日本の人口のうち研究者は約0.7%ということになる。
だれが言い始めたのか「石を投げれば博士に当たる」とつくばの研究人口の多さが表現されるが、言い得て妙である。
つくばにもみらけんのようにコワーキング兼リビングのような場所があるが、今思えばそういった場所にいる人も研究者や大学院生が多かった。
三島に来てから、研究者は珍しいと言って話を聞いてくれる方がたまにいてとても嬉しい。
歴史のまち、三島
どこの街でもそれぞれの歴史はあるだろう。
三島を歩いていると歴史を大切にしている街であると感じる。
神社仏閣はじめ歴史ある物がたくさん残っていることはもちろん、あちらこちらに歴史的スポットの位置や説明の案内板が非常に多いことが印象的であった。
「教えたい、伝えたい」という気持ちが自然と街になじんで形になっているように感じる。
三嶋暦師の館
妻に「歴史の街」と言わしめた大きな要因は三嶋暦師の館へ行ったことだろう。三嶋大社周辺を散歩していると、三嶋暦師の館という道しるべに導かれ、立派な古民家にたどり着いた。ひとけもないので戸惑いながら中へ入ってみると、奥から歴史に詳しそうな案内人の男性が来てくれた。
江戸時代の地図を見ながら宿場町として栄えていた頃の三島の話をしてくれたり、暦や館の歴史について教えてくれた。非常に興味深い話ばかりで、気づけば1時間以上もお話を聞いていた。
歴史や文化などに興味のある方には是非ともお勧めしたい場所だ。
三嶋暦のこと
三嶋暦とは、名前の通り三島で発行していた暦、いわばカレンダーである。鎌倉時代には発行していた最も歴史が古い仮名文字暦だそうで、主に男性貴族の間で用いられていた漢字と対照的に、いち早くインクルーシブな思想を取り入れた暦と言えるのかもしれない。
私たちが慣れ親しむ、1年を12カ月で分けた太陽暦とは違い、三嶋暦は太陰太陽暦となっている。これは約29.5日で1周する月の満ち欠けを基に1カ月が決められている。すると1年が短くなるので、約3年に1度13カ月の年が出現する。
何とも不便に思えるが、日付を数字でしか表せない現代に比べて、日に日に月が欠けていくのを見ながら「もうすぐ今月が終わるな」などと考える生活をしていると心の持ちようも幾分か違うのだろう。
おわりに
三島とつくば、似ている感じる部分も数多くある。いずれも都心に通えなくない適度な位置にあり、北には美しい山(富士山・筑波山)を仰ぐ。
そして、どちらも自分の街が好きで盛り上げたいという人たちが多いように感じる。学生時代も社会人になっても楽しい人たちがいる街に住むことができて幸せ者だ。
~~~~~~🦌🛷🎅🎁 皆のAdvent Calendar 2021~~~~~~~~~~
12月1日から25日まで「皆で繋ぐ、皆と繋ぐ」をモットーに運営しています明日もお楽しみに!!
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