アイドルの魅力がわからない私へ
Youtubeは気が利いていて、見た動画に応じて好きそうな動画をレコメンド一覧をプレイリストにしてくれる。
あるとき、どこで迷子になったのか、全く興味のない「乃木坂46」の「インフルエンサー」が混じってきた。
https://www.youtube.com/watch?v=r4SdiT7mm7Y&list=RDr4SdiT7mm7Y&start_radio=1
2017/3/20公開で、本日時点で再生回数6320万回。
最新のコメントは3週間前、人気の高さが伺える。
しかし、私個人は男性アイドルはもちろんのこと、女性アイドルにも全くといっていいほど興味がない。世の中には熱狂的なアイドルファンが存在するが、何にそんなに熱狂しているのか理解できないのである。
ということで、このアイドルへの熱狂の源泉はなんなんだというのが、本日のお題。
やっぱりカワイイのか?
カワイイと思う要素には、大きく分けて外面的な要素(容姿)、内面的な要素(性格)、行動的な要素(しぐさ)があると思う。
外面的な要素(容姿)
<AKB48>
<乃木坂46>
うむ、、、まあたしかにカワイイが、このくらいであれば表参道あたりにいそうな気もする。ただ衣装に非日常感があるのでそこに惹かれる可能性はあるかと思う。
内面的な要素(性格)
これはそもそも本質的に目に見えないし、見えても本心からかわからない。
というのも、向こうもお仕事なわけで、優しい心の持ち主!って思ったシーンがあったとしても、下手すると台本通りの演技をしているだけの可能性も十分あるので、正確な評価は下せないはずである。
もし、「あの子は根が真面目で本当に優しい子なんだ応援してあげたい」というファンがいたら、それはうまいこと騙されている可能性もあるかと思う。
それ故、向こう(アイドルもしくは演出家)の方が心を鷲掴みにする技術が卓越しているという面で上手だということかと思われる。
行動的な要素(しぐさ)
人気の源泉がここに依存する割合は比較的高いのではないかと予想している。
なんといってもアイドルは笑って、歌って、踊るのが仕事なので、かわいい振り付けに胸キュンしたというケースは少なからず存在するのではないかと思う。そしてその仕草を動画経由でリピートしてみていくうち、「なんか、わい、この子のことが好きや!握手会いこう!」とどんどん熱狂していくようなパターンも多いのではないだろうか。
とはいえ、これらの要素だけでそこまで熱狂を生み出すことは可能なのだろうか。少なくとも私は無料のYoutubeの動画すらリピートする気にならない。
実は、どのアイドルかはそんなに重要じゃない仮説
上記の観点からは、個人的に熱狂具合を解明できなかったので、少し視点を変えたいと思う。
もしかして、アイドル自体ではなくて、アイドルに会いに行く(握手会やライブ)までの過程のすべて、つまり、あの一日が特別なプライスレスな体験でそれが熱狂の源泉だったのではないだろうか。
私がここ最近で一日を通して最高に楽しかったと思える日はRockin Japan 2019に行った一日だ。
友達と2人で行ったのだが、ひたちなか海浜公園に近い駅で集合し、バスに乗って会場まで行き、ときには一緒のアーティストのステージに行き、帰りは特急列車の時間まで飲み屋に行き、深夜近くに帰宅するというフルコース。
行きのバスではお互いの近況や、仕事の話、悩みなど雑談。会場ではお目当てのアーティストの会場に行ったり、知らなかったが素敵なアーティストとセレンディピティ的な出会い。会場のB級グルメを食べて飲み歩き。帰りの前の飲み屋は1hくらい飲み、本日のラップアップ。帰りの列車は寝るという充実しきった一日だった。
終わった後の感想としては、Rockin Japan最高だったという話だが、
何が最高だったかというと、結局のところアーティスト含めてその一日の体験が最高だったわけである。
つまりだ、この場合はアーティスト依存ではないのである。例えばこれがもし、Rockin Japanのようなオムニバス形式ではなく、アイドル単独のライブだったとしたら、あのアイドルのライブは最高だった!となるのではないだろうか?
したがって、本質的には楽しかった体験の源泉はアイドルだけのものではないのだが、イベントのラベリング的にそのアイドルの功績になっているのではないだろうか。
その結果、あのアイドルはすごくいい!という気持ちが生じてその後の熱狂的なムーブメントに繋がっていくのではないか、という仮説である。
結論
ということで、私の結論としては、実はアイドルに熱狂しているのではなく、アイドルをというコンテンツを通したある一日の強烈な楽しい体験が、熱狂の源泉となっている。ということである。
つまり、最終的な目的はユーザーに楽しい時間を過ごしてもらうことで、アイドルはそのコンテンツの1つに過ぎないということである。
もちろん、コンテンツが魅力的ということは重要ではあるが、その前後の文脈があってこそ生きてくるものだと思う。