表紙_渚のアストロロジー

Adan #14

渚のアストロロジー[2/7]

 僕はしばらくきょとんとした顔をして黙っていたかもしれない。織姫が閉じ鉤括弧をつけたあと、彦星の僕(言わせてくれ!)が次のような短い自己紹介をするまでに、少し時間がかかったように思う。

「亜鉛の亜に男《おとこ》と書いて亜男です。何の術師でもありません。よろしく」

 勿論、僕は一目見た瞬間から渚ちゃんに心を奪われていた。渚ちゃんは長い髪をラフに二つ結びにしていて、その毛先は彼女の頭に生えてきたことを喜んでいるかのようにあらゆる方向にはねていた。それから渚ちゃんは真っ赤な口紅を塗っていて、ミュージカルのキャッツの舞台にそのまま立てそうなアイラインを引いていたけれど、基盤が上質なことは誰の目にも明らかだった、おそらく猫の目にも。服装は、アディダスの白字のロゴが前面に大きくプリントされたオーバーサイズの黒いTシャツに、白いミニスカート、そしてアディダスの白いスニーカーを履いていた。

 鑑定を始めてもらう前、僕は渚ちゃんに私的な質問をした。すると彼女は、「十八歳の浪人生です。大学の学費を稼ぐために占星術師を始めました」と答えた。

 僕も渚ちゃんから私的な質問をされた。と言っても、運勢を判断するのに必要だったからだけど。渚ちゃんは僕の生年月日に加え、出生地や出生時刻まで訊いてきた。僕は出生時刻もしっかり答えたわけだけど、それは僕が幼稚園に入るちょっと前まで、出生時刻の記入された臍《へそ》の緒の入った小さな木箱を絶えず持ち歩いていたからだ。何故ずっと携帯していたのか、その理由はよく分からない。たぶんその木箱の特別感だとか、臍の緒の異物感みたいなものに惹かれたんだと思う。

 渚ちゃんは本物の占星術師だった。彼女は紙にプリントされた円グラフ的なものに鉛筆で何やら書き込みながら荻堂亜男というキャラクターを解説してくれたんだけど、それがもうびっくりするくらい当たっていたんだ。僕を主人公にした小説を執筆したい物好きがいたら、その変人に教えてやりたいくらい!

 それじゃあ、そのとき渚ちゃんが授けてくれた言葉を箇条書きで示す。断っておくが、決して「過剰書き」ではない。

・金運はあるけどギャンブルは向いてない。
・体は丈夫。でも運動神経は悪い。
・野菜だけ食べても太るし、何も食べなくても太るし、運動すればするほど太る体質。
・人が大好きだけど人から好かれることはない。
・動物も好きだけど懐かれることはない。
・物語を想像するのが好きだけど真新しい物語は思いつかない。
・ユーモアのセンスはない。
・文才もない。
・SNSを始めて三ヶ月が過ぎた頃、ひょんなことから数名の人にブロックされていることが分かってショックを受けた経験がある。
・フォローしただけでブロックされる。
・フォローしていない赤の他人からもブロックされる。
・相手のことを知りたいと思えば思うほど、その相手はあなたから離れていく。
・あなたがその人のことを好きになればなるほど、その人はあなたを嫌いになる。
・あなたがその人のことを守ってあげればあげるほど、その人はあなたに攻撃してくる。
・信用を得たことが人生でまだ一度もない。
・女性に殺意を抱かせるのが得意。
・男性から馬鹿にされるのが得意。
・同性異性を問わず、尊敬されることは一生ない。
・理性もないが感性もない。
・とにかく頭が悪い。ゆえに、政治家向き。
・必ず失敗するほう、必ず不幸になるほうを間違わずに選び取れる天才!
・人間として生まれてきただけでも感謝すべき。
・前世はない。来世もない。
・ラッキーカラー、ラッキーナンバー、ラッキーフードもない。
・アンラッキーフードはハンバーガー。
・ファッションセンスが悪い。
・髪型が気持ち悪い。
・顔が散らかってる。
・香水と体臭が混ざって変な匂いがする。
・口も臭い。
・チビ。
・デブ。
・鼻毛が出てる。

 渚ちゃんに隠し事はできないなと思った。僕の知らない僕の隠し事さえ——ひょっとしたら僕が十年後にする隠し事さえ彼女にはお見通しなのではないか、とまで思った。

 僕の知らない僕(自覚している事柄もいくつかあったが)について説明してくれたあと、渚ちゃんは僕の目を見ながらこう訊いた。

「具体的に何か占って欲しいことはありますか? 例えば、自分はいつ死ぬのか、とか」

 僕はすべてを言い当てられ裸にされたような気持ちになっていたから、彼女と目を合わせたとき羞恥を覚えたんだけど、すぐに気を取り直して占って欲しいことを言った。いや、正確に言うと、渚ちゃんの今欲しいものを訊いた。さっきも述べたように、占って欲しいことなどもう何もなかったのさ(自身の死亡時期については僕の目下の関心事ではないので占ってもらわなかった。「死」の方だって僕に関心があるような素振りをまだ見せないし)。

「恋する相手に何をプレゼントすれば喜んでもらえるのかな? その娘への初めてのプレゼント。できれば君の個人的な意見を聞きたいのだけれど」

「私の個人的な意見ですか? 星の意見ではなく?」

「うん。むしろ君の個人的な意見が尊重されるべきというか——うん。君は何をプレゼントされると嬉しい?」

 渚ちゃんは首を傾げてから、こう答えた。「初めてのプレゼントならお菓子程度でいいのではないでしょうか。私はマカロンを贈られると嬉しいかも。ついでにマカロンについて助言させていただくと、プレゼントする相手が若い娘なら、とにかく発色のいいマカロンを選択すべきだと思います。マカロンは見映えがすべてなので、発がん性物質を含んだ着色料が多量に混入されたものでも問題ありません」

「了解」

 マカロンの無敵さを痛感したところで時間がきてしまった。渚ちゃんともっと喋っていたかったけど、延長はできなかった。KonMariが見たら「ときめかない」って判決を下しそうな中年女性が——社会から片づけられる寸前と思われる薄幸そうな顔をした中年女性が僕の次に予約していたのだ。

「あ、それと」僕が椅子から立ち上がって料金を支払おうとするとき、渚ちゃんはこんな言葉で僕を見送ってくれた。「今週から来週にかけて事故に遭いやすい運気です。用心してください。事故に遭うことを幸福だと思うのであれば警戒を怠った方がいいのですが……」

 僕は渚ちゃんに礼を言って、料金を支払った。そして僕は彼女の姿を目に焼きつけたあと、キッチンにいる田古田さんに向かって親指を立てながらパーラー百里を出た。

 前言を撤回しなければならない。渚ちゃんは本物の占星術師ではない。彼女は本物の「予言者」だ! 間違いない。僕はその日の夜、さっそく事故に遭ったのだ!

 つづく