Adan #1
“Part of the beauty of me is that I'm very rich.”
―Donald J. Trump
画家のデスティニーさん[1/4]
デスティニーさんとの出会いは運命的だった。それは九月上旬の曇天の昼下がりのこと、僕はアラハビーチの遊歩道の縁石に腰を下ろして、お金に対する無償の愛について考えていたのだけれど、そんな僕の足元に、唐突に鍔広《つばびろ》の赤い帽子が転がって来たんだ。まあ、何かが足元に転がって来るときは多くの場合で唐突だ(その何かが幸運にせよ、不運にせよ)。僕はお金に対する無償の愛について考えるのをやめて、その人懐っこい帽子を拾い上げた。そして砂浜の方に目をやった。すると、必死の形相でこちらに向かって走って来る、女性の姿が目に飛び込んできた。そう、砂浜に足を取られて僕のもとになかなか到着しなかったその女性が帽子の主人——デスティニーさんだ。
「その子、私の頭が気に入らないみたい」
デスティニーさんは僕のもとまでやって来ると、僕が拾い上げた自身の帽子を、肩で息をしながら指差してそう言った。そして、彼女は胸に手を当てて深呼吸したあと、僕に向かって笑顔を見せた。
勿論、僕は恋に落ちた。デスティニーさんは服装こそドナルド・マクドナルドみたいだったけど、腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪には艶があるし、背格好はすらっとしているし、目元は涼しげだし、それに何より、彼女の両頬にはえくぼにキャップをするかのような、ほくろがついていた。ほくろでえくぼにキャップするその頬の慎ましさだけでも、僕を手懐けるのには十分だった。
僕はデスティニーさんのその比類ない両頬に打ち負かされ、自己紹介せずにいられなかった。荻堂亜男《おぎどうあだん》という名であること、二十歳だということ、沖縄国際大学に通っていること(当月下旬の夏休み明けから休学することは言わなかったが)、生まれも育ちも北谷町《ちゃたんちょう》だということなど、とにかく、交際経験のないチェリーボーイであること以外すべて話した。デスティニーさんは雅号と思われるその名前と、画家をしていることだけしか教えてくれなかった。でもそれは当然だ。女性が知り合ったばかりの男に素性を明かすわけないじゃないか。
「脳味噌から鳩が飛び出してますね」
自己紹介を済ませたあと、デスティニーさんは僕に向かってそう言った。したがって、僕は遊歩道の縁石の上に置いていた本を——表紙に脳味噌から白い鳩が飛び出したイラストが描かれている本を取り上げ、その表紙を見せながらデスティニーさんにこう言った。
「『神は0.5人いる』というタイトルの、脳科学の本です。自分という独裁者の存在を命の限り黙認してしまうメカニズムについて、脳科学的見地から迫った本ですね」
デスティニーさんは小難しそうな本を読んでいる僕に感心している様子だった。が、白状すると、僕はその本をまだ一頁も読んでいなかった。持っていたら知的に見えそうな表紙の本を本屋で買い、それを傍らに置いて、ビーチの遊歩道の縁石に座っていただけなんだ、僕は。そう言えばつい最近、その本について分かったことがある。その本は脳科学の本ではなかった。「神は0.5人いる」という本は、世界的に活躍する手品師《マジシャン》の自叙伝だった。表紙に描かれていたイラストは、そっちの意味だった。
まあそれはさておき、僕はデスティニーさんにこんな質問をしてみた。
「どういったスタイルの絵をお描きになっているんですか? 例えば脳味噌から白い鳩が飛び出す絵といったような、前衛的なスタイルですか?」
「後衛か前衛かで言うと、前者ではありません」とデスティニーさんは答えた。「あ、ちょっとややこしかったですね。前衛的なスタイルだと思います。水彩画で、題材は人物とか豚とか、ありきたりなものばかりなのですが」
「いいですね、豚。僕は動物の中で豚が一番好きなんです。勿論『食材として』という意味ですが」
僕のその発言を聞いて、デスティニーさんは笑みをこぼしていた。無論両頬のくぼみはほくろでしっかりキャップされていたが、デスティニーさんのその微笑みはさっきまでのそれとは違う、別の種類のものだった。そしてデスティニーさんは言った。
「実は私、荻堂さんとお会いするのはこれが初めてじゃないんです」
僕はデスティニーさんのその発言が信じられなかった。こんな僕好みの美人を、僕が憶えていないわけない。デスティニーさんは人違いをしていると思ったから、僕は落ち着き払ってこう訊いた。
「記憶喪失になった記憶はないのですが、それこそ記憶喪失になったってことかもしれません。はて、お会いしたことなんてありましたっけ?」
デスティニーさんは決まりが悪いというような顔をした。「ごめんなさい。対面したわけではなく、三日ほど前、荻堂さんをコンビニでお見受けしたんです。キャンプ・フォスターの第五ゲートの斜め向かいにあるコンビニなのですが、私が『狼煙《のろし》の下げ方』というフリーペーパーを立ち読みしていたら、荻堂さんがそのコンビニで猫缶を買って、店先にいた野良猫に与え、そしてそのあと、その野良猫に足を噛まれてしまうところを目撃したんです」
「恩を仇で返す野良猫がいたあのコンビニに、いらっしゃったんですか?」
「いちゃいけなかったですか?」
「滅相もない! あなたの読んでいたそのフリーペーパーの発行元に、お礼状を書く羽目になっただけです!」
僕はこのとき、この人こそ運命の人だ、と思った。
「ドアが上に向かって開くスーパーカーに乗っていらっしゃいましたね」とデスティニーさんは言った。
僕は口角を上げて頷いた。僕はリヴィエラ・ブルーの、二〇一七年型フォード・GTに乗っているんだ。それから僕は、あのドアは明後日の方向にも開きますよ、と自分でもよく分からない冗談を言いながら、カジュアルシャツの襟を直す振りをして、左手首のラグジュアリー・ウオッチを彼女にさり気なく見せた。
大金持ちってわけではないのだけれど、僕の長所は、そこそこ金を持っていること以外にない。同じ大学、しかも、たまたま同じ経済学部経済学科に通っている、幼稚園児の頃から友だちの樋川北斗《ひがわほくと》みたいに僕は背も高くないし、スリムじゃないし、顔も整っていない。いや、北斗と比べるのは酷だ。彼は在日の兵士だった北欧系アメリカ人の父と、沖縄人の母とのあいだに生まれたハーフで、髪色は黒、髪型も床屋でカットされた野暮ったいベリーショートだが、緑色の瞳を所有している。北斗は生まれてこのかた女性に好かれなかった時間が一秒たりともないと言っても言い過ぎではないし、僕がお金持ちという武器を無遠慮に振り回せるようになってしまったのは、北斗という美男子が常に近くにいるせいだと言っても決して言い過ぎではないし、僕と北斗の外見の共通点は影の色くらいと言っても、残念ながら言い過ぎではない(影だって外見の一部だ!)。ちなみに僕がリッチなのは、ママが日本政府から毎年多額と思われる金をもらっているから。我が荻堂家は、米軍施設キャンプ・フォスターの大地主なんだ。ママが国からいくらもらっているのか、具体的な数字は知らない。僕が知っているのは、沖縄県公式ホームページに掲載されている数字だけだ。何故か二〇一四年までの記録しかないんだが、それによると二〇一四年度、キャンプ・フォスターの地主たちに国が支払った賃借料は、およそ八十九億円である。
デスティニーさんの話に戻る。「デスティニーさんの絵の世話を焼きたいです」と僕が発言したらデスティニーさんは、「一枚だけですが、完成した絵が車で熱中症になりかけてます。看病していただけますか」と言ってくれた。そういうわけで、僕は手ぐしで黒髪のミディアム・アシンメトリー・エアリー・ヘアを直しながら、デスティニーさんのあとについて、アラハビーチの駐車場へ向かった。
駐車場に着くと、デスティニーさんは普通車の黄色いステーションワゴンの前で歩みを止め、その車の後部座席のドアを開けて、コピー用紙でいうとA3サイズくらいの、額縁に入っていない絵をそこから出した。そして彼女はこう言いながら、僕にその絵を手渡してくれた。
「タイトルは、『踊り場で踊り字を踊り食いする踊り子』です」
衝撃的な絵だった。言葉で言い表せないって言葉でしか言い表せない。
僕はその絵を心から称賛した。そして僕は、十九万四千円でその絵を買った。十九万四千という半端な金をデスティニーさんに渡したのは、手持ちの現金がそれだけしかなかったからだ。デスティニーさんはその金額で、快く絵を譲ってくれた。
それから車に乗って帰るデスティニーさんを見送ったわけだけど、別れ際、僕は彼女とまた会う約束を取りつけることができた。今度は豚の絵を見せてもらえることになったのだ。
「子供が目をつぶって描いても、もう少し上手く描けるだろ」
北斗がデスティニーさんの絵を見てそう言ったのは、僕がデスティニーさんから絵を購入した翌日の夜のことである。僕は納戸に眠っていた額縁に絵を入れて、一人暮らしをしているマンションの居間の壁にかけていた。
僕はデスティニーさんの絵を悪く言うこの友に哀れみを覚えなかった。デスティニーさんの描いた絵の素晴らしさが分からないなんて可哀想な奴だな、とは思わなかったのだ。どの部屋もインテリアはママがコーディネートしたのだけれど、イタリア製のモダンなカウチやテーブルやキャビネットやランプ、スイス製のオーディオシステム、日本製の84V型テレビ、それからたくさん飾ってあるアンディ・マウス人形やその版画も、デスティニーさんの絵のセンスの高さに慄いて萎縮している様子だったんだ。僕の部屋の家具たちでさえデスティニーさんの絵に引け目を感じているのだから、北斗なんかに分かるはずない。この絵の良さが分からない自分の感性を俺は誇りに思う、と発言した北斗に対し、君のような人間にこの絵の良さが分かったら芸術はお仕舞いだ、と強い言葉で返したときも、僕は彼に哀れみも怒りも覚えていたわけではなかった。この絵の良さが分からない友にどのような友情を施してあげればいいのか、とむしろそんな宿題を自分に課す気でいた、このときまでは。
僕はデスティニーさんとの出会いから、例の踊り子が僕にどんな客人よりも厚遇されるようになった経緯を北斗に話した。彼は居間のカウチに横になってテレビでスポーツ・ベッティングをしながら、一人掛けソファに座っている僕の話を聞いていた。
「見れば見るほど気持ちの悪い絵だな」と北斗が言った。デスティニーさんの絵はテレビのそばに飾ってある。「この部屋、呪われるんじゃないか?」
「呪われるわけないじゃないか」僕は言った。「むしろ部屋の気が浄化されてる。新しい空気清浄機を買わずに済んだよ」
「踊り場で踊り字に踊り食いされる踊り子ではないってことだけが唯一の救いだ。そこは評価してやる」
北斗のその見解については、僕も同意見だった。そして彼はこう続けた。「絵のタッチにもよく現れているが、まともな女じゃないのは確かだ。知り合ったばかりの男に絵を売りつけるし」
「北斗、それは違う。僕はデスティニーさんに無理やり絵を買わされたわけじゃない。僕が無理やり買ったんだ。勘違いするな!」
「それはそうと亜男、お前なんで休学するんだ?」
北斗は話を逸らした。僕は北斗の質問に対して、彼女ができないからと答え、さらに、彼女ができたら復学する、とつけ加えた。冗談半分だ、完全な。
「彼女ができたら? それは『復学しない』って意味?」と北斗。
「明日にでも休学を取り消すって意味だ!」と僕。
北斗が冷笑した。そして彼は僕にこう訊いた。「で、その自称踊り子——じゃなかった、その自称画家と次はいつ会うんだ? そいつの財布の中にまた金を捨てに行くつもりなんだろ?」
僕は腕時計を見てこう答えた。「およそ二十一時間後」
つづく