表紙_渚のアストロロジー

Adan #16

渚のアストロロジー[4/7]

 後屈して自身の尾に噛みついてしまったウロボロスみたいに、僕はのけぞったまま凍結《フリーズ》してしまった。僕のプライベートがここまで筒抜けになっているなんて思ってなかったからだ。

 僕は気の利いた返しができなかった。情けないくらい陳腐な言葉で、こう問い返すことしかできなかった。

「どうしてそれを?」

 宇座あいはグラスのシードルを一気飲みして言った。「タコライスが降ってくるのを十分も待たされていた私のお腹の気持ちを思うと不憫で、あんたには本当に腹が立つわ! パーラー百里に入ろうとしたら、あんたが頬を赤らめて可愛い娘に占ってもらってる場面に出くわしたの。ガラス張りの玄関側の席にいたから、亜男だってすぐに分かった。あんたが店を出て、それから私は店に入ったの。パーラー百里であんたの瞳に映りたくなかったから」

 僕は両手で頭を押さえた。一番面倒臭い女に一番見られたくない場面を目撃されてしまったのだ。それから宇座あいは間を置くことなく僕にこう訊いた。

「で、その占い師の娘にどういう振られ方をする予定なの?」

 僕はその質問には驚かなかったし、彼女のように腹も立てなかった。僕のことを知っている者なら僕が惚れっぽい男子であることを承知しているし、宇座あいのことを知っている者なら彼女が冷やかしを言う女子であることを承知しているのだ。

「なんだって? 亜男のことを振ってくれる女子がまた現れたのか? あい、面白い話があるって、それか?」と北斗が宇座あいに訊いた。彼女はパーラー百里で僕を見たことを北斗にも話していなかったようだ。

「義弟、どういう振られ方をするのか、それは占ってもらわなかったのか? いや、訊かなかったのか?」と毒太朗もこっちの会話に割り込んできた。北斗と毒太朗は冷やかしの種の転がる音を聞きつける聴覚が異常に発達しているのだ。

 僕は言った。「僕が彼女にどういう振られ方をするのか、それは天の星々に尋ねても、もれなく星たちは首を傾げるだろうね。なぜならこの恋は成就するはずだから」

 予言者・渚ちゃんの凄さをみんなに説いて聞かせたのはそれからである。僕は何から何まで言い当てられたこと、つまり、金運はあるけどギャンブルは向いてないと言われたことだとか、鼻毛が出てると言われたことだとか、とにかく、渚ちゃんに言い当てられたことすべてを彼らに話したんだ。

「鼻毛が出てるのは見れば分かるが」毒太朗が言った。「それにしても、飲食店に占い師が常駐する時代なのか、今は」

「店側の話題作りなんじゃないかな」北斗がグラスのハイボールを飲んで言った。「あの店、席が埋まるの土日くらいだし。占いに頼りたくなったんじゃないかな、二つの意味で」

「そんなことより」宇座あいが言った。「亜男がどういう振られ方をするのか、私たちで占ってあげようよ」

 毒太朗と北斗は宇座あいの呼びかけに応じた。当然といった様子である。

「その占い師も」北斗が言った。「実は男だったって結末はどうだろう? ごく稀だけど、渚って名前の男もいるし」

「二人連続で男か。それもいいが」毒太朗が言った。「振られた回数の記録を考慮すると、女のほうがいいだろう」

「たぶん亜男は」宇座あいが言った。「占い師の娘に会うためにこれから毎日パーラー百里に通いつめるだろうから、ストーカー行為とみなされて逮捕されるっていうのは、どう?」

 毒太朗が頷いた。「義弟を塀の外に野放しにしている社会は狂っていると言わざるを得ない。こいつは一生牢獄に繋げておくべきだ。まあ、塀の中で義弟と顔を合わせなきゃならない受刑者の方々には迷惑をかけるが」

「亜男の力を侮ってはいけない」北斗が言った。「亜男が捕まって弁護士を雇うって話になったとき、こいつは見てくれのいい女弁護士を雇おうとするに決まってる。新たな被害者を生み出しかねない。弁護士が弁護士を必要とするかも」

 宇座あいは肩をすくめ、毒太朗は舌打ちした。

「それじゃあ単純に」宇座あいが言った。「その占い師に彼氏がいて、その彼氏に亜男は叩きのめされるっていうのはどうかな? 亜男の顔を殴らなきゃいけないなんて、その彼氏の拳には不快な思いをさせてしまうのだけれど」

「いや、それも駄目だ」北斗がまた物言いをつけた。「それじゃあむしろ亜男を楽園へ送り届けることになる。叩きのめされた亜男は病院へ行くんだぜ。病院っていったら亜男の憧れ、ナースが大勢いる。それこそ亜男の思うつぼだ!」

 宇座あいと毒太朗が、まるで生態系を乱す外来種を生物として扱わない人間を見るような目で僕を睨みつけた。目は出力機でもあるのだと言わんばかりに、だ。僕は黙って電子葉巻を吹かしていた。

「それじゃあ」宇座あいが言った。「占い師の彼氏に叩きのめされるんじゃなくて、いっそ殺されるっていうのは? 亜男が死ねば、これから標的にされるであろう女子はいちいち振る手間が省けるし。亜男の振られるさまを私たちが見聞できなくなってしまうのは惜しいのだけれど」

 北斗が首を横に振った。「どうせ亜男は死んでもあの世にいる可愛い女につきまとうに決まってる。殺し損だ。亜男を殺すその彼氏が浮かばれない。それに、亜男は殺されたら天国行きのチケットをもらえるかもしれない。亜男が天国に行くなんて、神は納得しても俺が納得できない」

「あの世に必要でない人間がこの世にいるわけだからな」毒太朗が言った。「義弟が生きているということは、あの世の住人は義弟を必要としていないということだ。つまり、義弟は生きることも死ぬことも許されていないわけだが、あの世の女が義弟の標的にならないために、この世にいる女が犠牲を払わなければならないんだろう」

 北斗、宇座あい、毒太朗の三人が、自然の猛威を目の当たりに見るような目で僕を見た。

「アクセルとブレーキを踏み間違えることはよくあることさ」僕は言った。「でもみんないいかげん気がつくべきだよ。ブレーキを踏み続けていることにね。それにしても、味方がいないと分かって安心した。裏切られるのではないかと懸念する必要がないことが分かって良かったよ」

 さて、第三次世界大戦前の現代のように、場の空気が比較的悪くなかったのはここまでなんだ。それからしばらくして場の空気は悪くなった。発端は宇座あいだ。彼女が、「私も今度占ってもらおう、運命の人にいつ出会えるのか」と発言したところ北斗が、「俺も」と言って挑発に乗り、二人の口喧嘩が始まったのである。

 したがって僕はまた毒太朗の餌食となった。相手を罵るのに忙しい宇座あいと北斗の邪魔をすることなく、毒太朗は僕に向かって再び愚痴に勤しみ始めたのだ。僕が酒を浴びるように飲み始めたのはそれからさ。僕は毒太朗の繰言から逃れたかったんだ。

 そして翌日、眠りから覚めると僕は、ゾンビになっていた。

 つづく


「Adan No.16」を読んでくれて、本当にありがとうございます!
 次回の「Adan No.17」は、7月3日(水)の夜にアップします! 是非また読んでいただけると嬉しいです!