はじめてのアルバイト_表紙

Adan #21

はじめてのアルバイト〈2〉

 僕は週に四日、午後五時から十時までの五時間、アルバイトに精を出した。その時間帯を選んだのは聖良ちゃんと一緒に働くためさ。聖良ちゃんが高校生であることは彼女の見た目から明らかだった。だから僕は迷わずその時間帯を選択したんだ。で、のみならず、僕は聖良ちゃんと同じホールスタッフを希望した。ところが、ホールスタッフは女性のみ、という性差別的な店の規定があった。したがって僕はキッチンスタッフとして働くことになったのである。

 好きになった人と一緒に仕事をする、それはとてもハッピーなことだ。思っていたよりやることがいっぱいあり、店も繁盛していたから、勤務中は聖良ちゃんと私語に興じることなんてほとんどできなかった。けれども、聖良ちゃんのいらっしゃいませの声を聞いて、僕もいらっしゃいませと声を上げる、その瞬間の一体感がもたらすカタルシスが相当なものだったから、僕は彼女と話をしたくてもできないもどかしさに苦しめられることは一度もなかった。

 聖良ちゃんと出勤が重なるのは週に二日しかなかった。だから僕はオフの日も聖良ちゃんが出勤なら店へ出向き、客席でアメリカンフードを頬張る仕事をしながら彼女の仕事ぶりを眺めた。誤解しないで欲しい。僕は五時から十時までずっと聖良ちゃんを眺めていたわけじゃない。困っている人のそばを片時も離れない有志者のような、あるいはストーカーの背後に張りつく刑事のようなそんなストーカーまがいのことはしてない。僕の休日出勤(無論無給だ)の労働時間は、九時から十時十五分くらいまで。一時間十五分ほどだ。映画の上映時間なら物足りないくらいさ、その映画が面白ければの話だけど。

 聖良ちゃんと出勤が重なる通常出勤の日においても、休日出勤の日においても、僕が一番楽しみにしていたのは終業後の十五分間だった。十時に退出するのは僕以外、みんな高校生だった。みんなと言っても三、四人なんだけど、何にせよ、終業後はスタッフルームで他愛ない話をして帰る、という素敵な慣習があった。そのスタッフルームで高校の制服姿の聖良ちゃんをこの目に焼きつけること、僕にとって一番大切な仕事がそれだった。それこそ、コニードッグにチョップド・オニオンをトッピングすることよりも。聖良ちゃんを迎えに来るお母さんが交通事故に遭えばもっと一緒にいられるのになあ、とそんなことを考えながら、僕は聖良ちゃんとスタッフルームで会話することもできた。

 スタッフルームは新たな聖良ちゃんと出会える場所でもあった。僕がママにローライダーをねだったのも、そこでその新たな聖良ちゃんと遭遇できたからだ。どんな車に乗っている男性が好きか聖良ちゃんに質問したら、「ローライダーとかいう飛び跳ねる車に乗ってる男性が好きです!」と、彼女はそれこそ飛び跳ねるローライダーのように元気よくそう答えたんだ。そういうわけで、僕はママにローライダーを買ってもらった。「キャンプ・フォスターとアメリカンビレッジで今月末に開催されるハロウィンのイベントを盛り上げるためにホッピング仕様のローライダーがどうしても必要だ!」と、アメリカに住んでるママに僕は電話でそう嘘をついた。解雇通告を受けた日の翌々日が、ローライダーの納車日だった。

 聖良ちゃんに対する僕の秘めたる想いを正人《まさと》くんに打ち明けたのは、解雇通告を承ったその日だった。聖良ちゃんのお母さんが交通事故に遭わず、無事に愛娘を車で迎えに来、僕の視界からまるで、ソマリア沖のニュースを見た少年の海賊になりたいって夢のように彼女がしめやかに消えてしまったそのあと、僕は解雇されたことを店の裏口を出てすぐ正面にあるスタッフ専用駐車場(車が五台だけ駐められる)で正人くんに話した。

「荻堂さんのような既存のレシピにとらわれないキッチンスタッフをクビにするなんて、僕は間違っていると思います」と正人くんは言った。

「君は僕を買い被ってるよ。確かにスライスチーズは最低二枚トッピングしてるし、ピクルスは最低三枚トッピングしてるし、あらゆるハンバーガーにベーコンをトッピングして客に出しているけれど」と僕は言った。

 聖良ちゃんに対する秘めたる想いを正人くんに打ち明けるつもりは、このときはまだなかった。空腹を満たすこと、それがこのときの僕に下されていた至上命令だった。だから僕は彼に「お疲れ!」とそれだけ言って、車に乗り込もうとした。しかし、僕は車に乗り込むことができなかった。愛車に乗車拒否されたわけではない。僕が聖良ちゃんへの秘めたる想いを正人くんに打ち明けたのは、車に乗り込もうとする僕の無防備な背中に向かって、彼がこんな言葉を投げてきたからである。

「荻堂さん、聖良のことは諦めるんですか?」

 僕はびっくりした己の背中のその反応にもびっくりした。僕は振り返って正人くんを見た。すると正人くんは、そんなことは見抜いてますよ、という所懐を目で伝えてきた。僕は正人くんのそれを一瞬で認めることができた。したがって僕は、君に所懐を見抜かれたよ、という所懐を彼に目で返した。

 僕は正人くんに聖良ちゃんへの秘めたる想いを白状した。正人くんと私的な話をしたのは、このときが初めてだったんじゃないかな。僕は聖良ちゃんに一目惚れしたこと、彼女をテークアウトするためにこの店に潜入したこと、それから彼女が好きだと言っていたローライダーを買い、その納車が明後日に迫っていることも彼に話した。

 僕の目から見た正人くんの印象を話そう。彼はなんていうか、冴えない男の子だ。一重瞼で、黒縁眼鏡をかけていて、おでこは前髪に幽閉されていて、背は高いのだが、ひょろひょろしている。彼から発せられる雰囲気や乗っている50ccのスクーターを見ても、育ちの良さはまったく感じられない。彼のその佇まいは僕に、ろくな高校生活を送れていないだろうなあ、という思いを常に抱かせた。

「聖良ちゃんについて何か知ってることはないかな? どんなことでもいいんだ。たとえばキーボードの入力方法とか。ローマ字入力派なのか、かな入力派なのか」と僕は正人くんに尋ねた。彼はアルバイトの中で古株のほうだったし、聖良ちゃんと同じ十七歳だったし。正人くんと聖良ちゃんが喋っているところを一度も目にしたことはなかったが、三か月前から店でアルバイトをしている聖良ちゃんについて少しは何か知っているだろうと思い、まあ、訊くだけ訊いてみたのさ。

「聖良のキーボードの入力方法は知りませんが、イヤホンはインナーイヤー型派だって言ってました。それから聖良について僕が知っているのは、好きな言葉は『嫌い』という言葉だってことと、十五歳まで頭痛薬のことを頭痛を誘起させる薬だと思ってたってことと、『癌細胞を弔う寺院がないのはおかしい』と思ってるってことと、歴史上の聖人たちを『神聖という名の誘惑に負けた人』って呼んでることと、あとは、好きな男性のタイプくらいですね。あ、彼氏はいないって言ってました」

 正人くんのこの発言は僕に喜悦をもたらした。どうせ聖良ちゃんには彼氏がいるんだろうなと思っていたからだ。で、僕は言わずもがな正人くんに、聖良ちゃんの好きな男性のタイプを教えて欲しい、と懇願した。すると彼は渋ることなく教えてくれた。

「聖良はレインボー・アフロの男性が好きって言ってました。あと服装については、エアロビクスウェアを身にまとっている男性が好きって言ってました。上下蛍光色のスパンデックス素材のエアロビクスウェアを着ている男性が好きだと。そうそう、その格好でレトロなラジカセを担いでたらもう完璧だそうです」

 正人くんのこの発言は僕に一驚をもたらした。聖良ちゃん自身の「ローライダーが好き!」という発言にも驚いたが、レインボー・アフロで、しかもエアロビクスウェアを身にまとっている男性が好きだなんて、そこまでファンキーな男性を好むような娘《こ》に聖良ちゃんは見えなかったからだ。でもまあ何にせよ、彼のその情報は僕にとって有益この上ない。僕は正人くんに握手を求め、感謝の意を表した。

 翌日の午前十時、僕は百貨店の開店と同時にその回転扉を誰よりも早く回した。

 僕はまずフィットネスウェア売り場へ行った。そこで僕は、蛍光色のスパンデックス素材のタンクトップと、足首まであるタイツを何枚も買って、そして、ヘッドバンドとサンバイザーとリストバンドとレッグウォーマーと白いフィットネスシューズを購入した。それから僕はカジュアルウェアショップへ行って、デニムのホットパンツを買った。

 その百貨店内には小さな美容院も軒を連ねていた。僕はその美容院に飛び込んでみたわけだが、そこにいた美容師のおばさんを見て、憚ることなく両拳を天に突き上げてしまった。都合よく展開される粗末な小説のような話——嘘みたいな話なんだが、その美容師のおばさん、その人の頭がレインボー・アフロだったのだ! おばさんの頭は横から見ると七色の虹が架かっているようにカラーリングされていた!(彼女のその頭について、これは彼女自身の口から聞いたことなんだが、おばさんは百貨店を盛り上げるため、毎年ハロウィンウィークにはレインボー・アフロにしているとのことだった)。

 僕は先導者であるおばさんの誘導に従ってバーバーチェアに腰掛けた。そしておばさんにこう言った。たしかチャールズ・チャップリンの言葉だ。

「うなだれていたら虹は見つけられない。ですよね?」

つづく

読んでくれてありがとうございます!
次回「Adan No.22」は、8月21日(水)の午後にアップします!